2017年マシュー・ジョン・スコット(Matthew John Scot)はウィンヤード・クォーター(オークランド)の賃貸アパートに住み、「単独」で違法薬物の取引をしていました(*1)。マシュー・ジョン・スコットは以前メタンフェタミン(覚醒剤の一種)を取り扱っていましたが、後にコカインを主に取り扱うようになりました(*1)。マシュー・ジョン・スコットは44歳(2017年時点)で、オーストラリアの西オーストラリア州パースの出身でした(*1)。
ウィンヤード・クォーターでは長年「ヘッド・ハンターズ」(Head Hunters)が違法薬物の取引を仕切っていました(*1)。ヘッド・ハンターズはハイブリッド型組織(バイカーギャング+ストリートギャング)で(*2)、1967年ストリートギャングとしてグレン・イネス(オークランド市)で結成されました(*3)。常識的に考えればウィンヤード・クォーターは、オーストラリア人(外国人)が1人で違法薬物取引をできる場所ではなかったのです(*1)。
実はマシュー・ジョン・スコットは密かにバイカーギャングと組んでいました(*1)。オーストラリア系バイカーギャング「レベルズ」(Rebels)の構成員達はオークランドでマシュー・ジョン・スコットと会っていました(*1)。レベルズはオーストラリア最大のバイカーギャングで、2011年前半地元の「トライブスメン」(Tribesmen)のメンバーを多数取り込む形で、ニュージーランドに進出しました(*4)。
またマシュー・ジョン・スコットはアメリカ合衆国系バイカーギャング「ヘルズ・エンジェルス」(Hell’s Angels)の関係者とも親しかったです(*1)。ヘルズ・エンジェルスは1961年7月オークランドに支部を設立、ニュージーランド進出を果たしました(*5)。
マシュー・ジョン・スコットの「仕事仲間」にベンジャミン・ジョン・ノースウェイ(Benjamin John Northway)、マリオ・ハブリン(Mario Habulin)、デニ・カヴァロ(Deni Cavallo)がいました(*1)。ベンジャミン・ジョン・ノースウェイは、マシュー・ジョン・スコットと同じ西オーストラリア州パースの出身でした(*1)。ベンジャミン・ジョン・ノースウェイは、マシュー・ジョン・スコットのアシスタントとして働きました(*1)。マリオ・ハブリンはクロアチア出身の35歳(2017年時)でした(*1)。またマリオ・ハブリンは元軍人で、1990年代ユーゴスラビア紛争に参加していました(*1)。デニ・カヴァロは46歳(2017年時点)のセルビア人で、マリオ・ハブリン同様元軍人で1990年代ユーゴスラビア紛争に参加していました(*1)。
マシュー・ジョン・スコットとマリオ・ハブリンは数十万NZドル(現金)をスポーツバックに隠し、ベトナム人女性のレ・ティ・リュー(Le Thi Lieu)に持って行っていました(*6)。レ・ティ・リューは表向きシドニー(オーストラリアのニューサウスウェールズ州の州都)で美容院を経営していました(*6)。一方でレ・ティ・リューは「資金洗浄専門組織」の一員という裏の顔も持っていました(*6)。レ・ティ・リューはシドニーから飛行機でニュージーランドのオークランドに行き、マシュー・ジョン・スコットとマリオ・ハブリンから上記の現金を受け取っていました(*6)。レ・ティ・リューの仕事は、現金を受け取り、ニュージーランド国外に移すことでした(*6)。
警察組織は、この資金洗浄専門組織を「国際キャッシュ・コントローラー・ネットワーク」(international cash controller networks)と呼んでいました(*6)。
両方が記番号(多くの場合、銀行券の通し番号)を確認後、現金は引き渡されました(*6)。レ・ティ・リューらの資金洗浄組織は発覚を避ける為、現金を分割し、多数の銀行口座に預け入れました(*6)。また資金洗浄組織は、1口座につき9,999NZドルを預け入れ上限額としました(*6)。9,999NZドルを超える預け入れがあった場合、該当の銀行は当局に報告する義務があったからです(*6)。
最後にレ・ティ・リューらの資金洗浄組織は「別の口座」(上記の預け入れ先口座以外の口座)から「受取人の口座」に送金しました(*6)。ちなみに「旅客に現金を運ばせるという方法」はニュージーランドでは、税関に発見されやすかったです(*6)。ニュージーランドの税関は訓練犬を空港に配置していました(*6)。訓練犬は大量の現金の臭いに反応しました(*6)。
またレ・ティ・リューらの資金洗浄組織は、外貨両替店も活用していました(*6)。レ・ティ・リューらの資金洗浄組織は「ピン・アン・ファイナンス(Ping An Finance)」という会社を利用していたと見られています (*6)。外貨両替ブローカーのシャオラン・シャオ(Xiaolan Xiao)がピン・アン・ファイナンスのトップでした(*6)。シャオラン・シャオは疑わしい取引を60件しており、当局の間では知られた人物でした(*6)。
ニュージーランドでは2009年「反マネーロンダリングおよびテロ資金供与対策法」(Anti-Money Laundering and Countering Financing of Terrorism Act)が制定されました(*6)。反マネーロンダリングおよびテロ資金供与対策法によりカジノ、銀行、弁護士、不動産業者等は、取引の監視、記録の保存、疑わしい取引の報告などをしなければなりませんでした(*6)。
マシュー・ジョン・スコットらは電話等のやりとりにおいて細心の注意を払っていました。彼らは一般の電話では「ビジネスの話」をせず、ブラックベリーのような暗号化通信可能な装置、またはエンドツーエンド暗号化を備えたスマートフォンアプリ(TelegramやWhatsApp)で「ビジネスの話」をしていました(*1)。
2017年10月31日マシュー・ジョン・スコットらはタウランガ(ベイ・オブ・プレンティ地方)の港でコカインを陸揚げしました(*7)。タウランガは「ニュージーランド北島の北東部」に位置する都市です。陸揚げは次のように行われました。マシュー・ジョン・スコットらは、タウランガ港の海上で停泊していたマースク・アンタレス(Maersk Antares)号から、同じく海上で停泊していた自身の船(ボストン号:Boston)にコカインを積み替えたのです(*7)。積み替えでは元軍人のマリオ・ハブリンが重要な働きをしました。マリオ・ハブリンはウエットスーツを着て、ボストン号からマースク・アンタレス号まで泳いだのです(*7)。マースク・アンタレス号の出港地は南米でした(*7)。
日本では「違法薬物の海上積み替え」はよく行われてきました(*8)。日本において違法薬物の海上積み替えは「瀬取り」と呼ばれ、一般的には「領海外のエリア」で行われました(*8)。
捜査機関は以前からマシュー・ジョン・スコットらの動きを監視しており、陸揚げ後マシュー・ジョン・スコットらを逮捕しました(*7)。マシュー・ジョン・スコットとベンジャミン・ジョン・ノースウェイの宿泊先(エアビーアンドビー物件)で捜査機関は約46kgのコカインを発見しました(*7)。末端市場においてコカインの価格は、当時1gあたり450NZドルだった為、46kgでは約2,000万NZドルとなりました(*7)。
<引用・参考文献>
*1 『Gangland: New Zealand’s Underworld of Organised Crime』(Jared Savage,2020, HarperCollinsPublishers), p235-236,240
*2 『Patched: The History of Gangs in New Zealand』(Jarrod Gilbert,2021,Auckland University Press), p248
*3 『Gangland: New Zealand’s Underworld of Organised Crime』, p152
*4 『Patched: The History of Gangs in New Zealand』, p249
*5 『The Brotherhoods: Inside the Outlaw Motorcycle Clubs』(Arthur Veno,2012,Allen & Unwin),p26
*6 『Gangland: New Zealand’s Underworld of Organised Crime』, p237-239
*7 『Gangland: New Zealand’s Underworld of Organised Crime』, p241-246
*8 『覚醒剤アンダーグラウンド 日本の覚醒剤流通の全てを知り尽くした男』(高木瑞穂、2021年、彩図社),p17-18
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