アウトロー組織のバイカーギャングは自分達の組織を「クラブ」と捉えてきました(*1)。一方の警察組織はバイカーギャングをクラブとしてではなく「ギャング」として位置づけていきました(*1)。
バイカーギャングも広義には「バイカークラブ」と呼べるのでしょう。
バイカーギャングは「ワンパーセンターズ」(1%ers)とも呼ばれてきました(*2)。「ワンパーセンターズ」の名称は、アメリカンモーターサイクル協会(American Motorcycle Association)会長の発言に由来しています(*2)。
1947年7月4日カリフォルニア州フォリスターでアメリカンモーターサイクル協会下のイベント(イベントの通称名「ジプシーツアー」)がありました(*2)。戦前のジプシーツアーはカリフォルアニア州内のみで開催されていましたが、戦後はカリフォルニア州外でも開催されるようになりました(*3)。
1947年はフォリスターがジプシーツアー開催地になり、サリナス・ランブラーズバイククラブとフォリスター記念公園協会がジプシーツアーを共同で主催することになりました(*3)。
主催側としては、「(アメリカンモーターサイクル協会)非加盟のバイカークラブ」をジプシーツアーに参加させない方針がありました(*3)。アメリカモーターサイクル協会に非加盟のバイカークラブは「アウトロー・モーターサイクル・クラブ」(outlaw motorcycle club)と呼ばれていました(*2)。
しかし非加盟バイカークラブの者達は早めにフォリスターに着いていました(*3)。
そしてイベント当日(7月4日)、非加盟バイカークラブ「ピスト・オフ・バスターズ・フロム・ベルドゥー」(Pissed off Bastards from Berdoo)、「ブーズファイターズ」(Boozefighters)のメンバーらが暴動を起こしました(*2) (*3)。
ちなみにピスト・オフ・バスターズ・フロム・ベルドゥーは「ヘルズ・エンジェルス」(Hell’s Angels)の前身です(*2)。
フォリスターでの暴動を受け、アメリカンモーターサイクル協会は非加盟バイカークラブを非難しました(*2)。またアメリカンモーターサイクル協会会長は、アメリカ合衆国のバイカーは「99%の法を順守する市民」と「1%のアウトロー」に分けられると、述べました(*2)。つまりアメリカンモーターサイクル協会会長は、加盟バイカークラブを「99%の法を順守する市民」、非加盟バイカークラブを「1%のアウトロー」と定義したのです。
一方、非加盟バイカークラブつまりアウトロー・モーターサイクル・クラブは「1%」ワッペンを作るなど、「1%」という言葉を積極的にとり入れていきました(*4)。以降、アウトロー・モーターサイクル・クラブ(ワンパーセンターズ)のメンバーは、1%ワッペンを服に付けました(*5)。そこからアウトロー・モーターサイクル・クラブは「ワンパーセンターズ」(1%ers)と呼ばれるようになったのでした。
1%ワッペンは菱の形(diamond-shaped)をしていました (*5)。『The One Percenter Encyclopedia: The World of Outlaw Motorcycle Clubs from Abyss Ghosts to Zombies Elite』という書籍において、ニューヨーク州の「コンデムド・フュー」(Condemned Few)というバイカークラブは、「Diamond-patch motorcycle club」と書かれていました(*6)。コンデムド・フューの記事内には、「1%」や「one percent」という言葉がありませんでした(*6)。しかし「Diamond」(菱)という言葉が、「1%」や「one percent」の意味を代わりに担っているのかもしれません。
ワンパーセンターズに対し「テンパーセントクラブ」(10% club)と呼ばれるバイカークラブがありました(*7)。テンパーセントクラブは、ワンパーセンターズ(バイカーギャング)同様、パッチ(組織専用ワッペン)を持っていました(*7)。
パッチは「袖なしレザーもしくはデニムベスト」に縫い付けられ、パッチ付の上着は「カット」(cut)と呼ばれました(*8)。バイカーギャングの定例会では、構成員はカットを着用して出席しました(*8)。
一般的にパッチは3点セット(three pieces)でした(*8)。1つ目のパッチは「組織名」のもので、上着背部の上の方に縫い付けられました(*8)。2つ目のパッチは「組織ロゴ」でした(*8)。3つ目のパッチは「組織や支部が活動する地域名」のもので、上着背部の下の方に縫い付けられました(*8)。
テンパーセントクラブはパッチを持っているものの、合法的領域にとどまるバイカークラブでした(*7)。
オーストラリアのバイカーギャング業界では、バイカーギャングだけが「3点セットのパッチ付き上着」を着用できるという考えがありました(*9)。
2006年キャンベラ(オーストラリア首都特別地域)のラリーで「ユリシーズ・クラブ」(Ulysses club)というバイカークラブのメンバーらが「3点セットのパッチ付き上着」を着ていました(*9)。ユリシーズ・クラブはテンパーセントクラブだったと考えられています(*9)。
バイカーギャングの「レベルズ」(Rebels)の構成員らがそれを見て、上着からパッチを外すように、ユリシーズ・クラブのメンバーらに要求しました(*9)。最終的に両者の間で喧嘩が起きました(*9)。喧嘩の結果、ユリシーズ・クラブ側に怪我人が出ました(*9)。その後ユリシーズ・クラブのトップは会員に対し、3点セットのパッチ付き上着を着用しないように命じました(*9)。
<引用・参考文献>
*1 『Biker Gangs and Transnational Organized Crime Second Edition』(Thomas Barker,2014,Routledge),p35-36
*2 『The Brotherhoods: Inside the Outlaw Motorcycle Clubs』(Arthur Veno,2012,Allen & Unwin),p23-24
*3 『アウトロー・バイカー伝説』(ビル・オズガービー、2008年、スタジオタッククリエイティブ),p28-29
*4 『アウトロー・バイカー伝説』,p31
*5 『The Fat Mexican: The Bloody Rise of the Bandidos Motorcycle Club』(Alex Caine,2010,Vintage Canada),p172
*6 『The One Percenter Encyclopedia: The World of Outlaw Motorcycle Clubs from Abyss Ghosts to Zombies Elite (English Edition)』Kindle版「Condemned Few」(Bill Hayes,2018, Motorbooks)
*7 『The Brotherhoods: Inside the Outlaw Motorcycle Clubs』,p57
*8 『Biker Gangs and Transnational Organized Crime Second Edition』,p9-10
*9 『The Brotherhoods: Inside the Outlaw Motorcycle Clubs』,p263
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