マノ・コン・オホス

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 「マノ・コン・オホス」(Mano con Ojos)は2010年5月15日、アカプルコ(ゲレロ州)のホテルで発足したといわれています(*1)。マノ・コン・オホスを英語に直すと「Hand with Eyes」(目を持つ手)になります(*1)。

 マノ・コン・オホス発足を主導したのが、「ベルトラン・レイバ機構」(Beltrán-Leyva Organization)の元幹部達でした(*1)。

 ベルトラン・レイバ機構は同年(2010年)に瓦解していました(*2)。ベルトラン・レイバ機構の元幹部達は、新しい活動組織として、マノ・コン・オホスを立ち上げたのでした。

 ベルトラン・レイバ機構の元幹部達とは、エズネル・コルテス・ヒメネス(Eznel Cortés Jiménez)とオスカル・オズワルド・“エル・コンパイト”・ガルシア・モントーヤ(Óscar Oswaldo “El Compayito” García Montoya)でした(*1)。コルテス・ヒメネスは元連邦警察官、ガルシア・モントーヤはメキシコ海軍の脱走兵でした(*1)。

 マノ・コン・オホスは「メキシコ盆地」(メキシコ市とメヒコ州東部)と呼ばれるエリアでの違法薬物ビジネスを画策しました(*1)。

 具体的には、マノ・コン・オホスはコロンビアからコカインを調達、モレロス州の隠れ家に保管した後、メヒコ州の密輸拠点を挟んで首都メキシコ市に供給するという計画でした(*1)。モレロス州は、メキシコ市とメヒコ州の南隣に位置しています。

 メキシコ市やその周辺地域では、元々、旧ベルトラン・レイバ機構が影響力を持っていました(*3)。

 ガルシア・モントーヤの主導により、マノ・コン・オホスはメキシコ市に進出、南部の一角を縄張りとしました(*1)。しかしメキシコ市には他の組織が既に活動しており、マノ・コン・オホスの対抗勢力となりました(*1)。2011年8月11日ガルシア・モントーヤが逮捕されました(*1)。

 ガルシア・モントーヤの逮捕後、フアン・ホセ・“エル・カサス”・ロドリゲス(Juan José “El Casas” Rodríguez Rodríguez)がマノ・コン・オホスを率いていきました(*1)。“エル・カサス”は、ガルシア・モントーヤのボディガード兼運転手でした(*1)。

 その後「セントラル・カルテル」(Central Cartel)がマノ・コン・オホスの縄張りを奪い取ろうとし、両団体は抗争に至りました(*1)。セントラル・カルテルは違法薬物ビジネスにおいて小売を専門としていました (*4)。メキシコでは違法薬物の小売は「ナルコメヌデオ」(narcomenudeo)と呼ばれています(*3)。セントラル・カルテルは「旧ベルトラン・レイバ機構の残党」であり、アドリアン・“エル・H ”・ラミレス・ソリア(Adrián “El H” Ramírez Soria)によって率いられていました(*1)。マノ・コン・オホスとセントラル・カルテルは、出自が似ていたのです。両団体の争いは激化しました(*1)。

<引用・参考文献>

*1 『Mexican Cartels: An Encyclopedia of Mexico’s Crime and Drug Wars』(David F. Marley,2019,Abc-Clio Inc), p218-219

*2『Mexican Cartels: An Encyclopedia of Mexico’s Crime and Drug Wars』, p172

*3 InSight Crimeサイト「Beltran Leyva Spin-Off Menaces Mexico City」(Patrick Corcoran,2011年5月11日)

https://insightcrime.org/news/analysis/beltran-leyva-spin-off-menaces-mexico-city

*4 InSight Crimeサイト「Bodies Dumped Around Mexico City Before Local Election」(Patrick Corcoran,2011年7月5日)

https://insightcrime.org/news/brief/bodies-dumped-around-mexico-city-before-local-election

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