2006年「ミレニオ・カルテルの撤退」と「ファミリア・ミチョアカナ・カルテルの登場」

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 メキシコ中西部のミチョアカン州では2006年9月から「ファミリア・ミチョアカナ・カルテル」(Familia Michoacana Cartel)の活動が顕在化していきました(*1) 。ファミリア・ミチョアカナ・カルテルは、別名「ラ・ファミリア・ミチョアカナ」(La Familia Michoacana)、もしくは略して「LFM」と呼ばれていました(*1)。

 ファミリア・ミチョアカナ・カルテルの本拠地であったミチョアカン州は、太平洋に面しています。またミチョアカン州の北隣にはコリマ州、ハリスコ州、グアナフアト州、ケレタロ州があります。ミチョアカン州の東隣にはメキシコ州、南隣にはゲレロ州があります。

 ファミリア・ミチョアカナ・カルテルの源流は、1980年代ミチョアカン州内の自警団だったと考えられています(*2)。1980年代のミチョアカン州では大麻やケシの栽培が流行りました(*2)。この自警団は、買い付け業者や犯罪グループから、大麻やケシの栽培農家を守っていたと考えられています(*2)。1990年代この自警団は、違法薬物取引を仲介するようになりました(*2)。

 ミチョアカン州は、元々ミレニオ・カルテル(Milenio Cartel)の牙城でした(*3)。ミニレオ・カルテルは、昔「アボカド・カルテル」(Avocados Cartel)と呼ばれ、バレンシア一族により率いられていました(*3)。1980年代アボカド・カルテルは、バハ・カリフォルニア州のティフアナ・カルテル(Tijuana Cartel)と手を結び、太平洋沿いの経路でマリファナや低品質ヘロインをカリフォルニア州(アメリカ合衆国)に密輸していました(*3)。またアボカド・カルテルは船舶や飛行機も密輸手段として用いていました(*3)。

 1990年代前半アボカド・カルテルはハリスコ州、コリマ州、ナヤリット州に進出し、版図を拡大していきました(*3)。2000年が近づいてきた頃、アボカド・カルテルは「ミレニオ・カルテル」に改称したと考えられています(*3)。

 ミレニオ・カルテルはヌエボ・ラレド(タマウリパス州)経由の経路でも違法薬物をアメリカ合衆国に送っていました(*4)。タマウリパス州はメキシコ北東部に位置し、メキシコ湾に接しています。ヌエボ・ラレドはタマウリパス州の中でも内陸の都市です。

 ヌエボ・ラレドはアメリカ合衆国との国境地帯にあり、アメリカ合衆国側のラレド(テキサス州)と、双子都市を形成しています。ヌエボ・ラレド(メキシコ側)とラレド(アメリカ合衆国側)の間には、リオ・グランデ川が流れています。

 ヌエボ・ラレド(メキシコ側)にはパンアメリカン・ハイウェイ(南北のアメリカ大陸をつなぐ幹線道路)が通っています。メキシコ内においてパンアメリカン・ハイウェイは他に、首都メキシコ市、モンテレイ(ヌエボ・レオン州)なども通っています。メキシコ内でパンアメリカン・ハイウェイを北上していけば、メキシコ市→モンテレイ→ヌエボ・ラレドという順に進んでいきます。

 ラレド(アメリカ合衆国側)は州間高速道路35号線の南の終点です。ラレドから州間高速道路35号線を北上するとサンアントニオ(テキサス州)、オースティン(テキサス州)、オクラホマシティ(オクラホマ州)等の都市があります。

 2002年3月までのヌエボ・ラレドでは、ディオニシオ・ロマン・“エル・チャチョ”・ガルシア・サンチェス(Dionisio Román“El Chacho”García Sánchez)らが裏社会を仕切っていました(*5)。“エル・チャチョ”は、ミレニオ・カルテルとチワワ州のフアレス・カルテル(Juárez Cartel)の「代理人」でした(*5)。逆にいえば、ミレニオ・カルテルとフアレス・カルテルは“エル・チャチョ”にヌエボ・ラレドの統治を委託していました。

 ミレニオ・カルテルはヌエボ・ラレド経由で密輸する際、コカイン300kgにつき13万ドルを「賄賂」として贈っていました(*4)。メキシコ麻薬カルテル業界では、アメリカ合衆国との国境地帯の縄張り(plaza:プラサ)の主が、違法薬物を自ら密輸する際、警察組織と軍に金を払っていました(*6)。おそらくミレニオ・カルテルは、ヌエボ・ラレドの縄張りにおける「共同オーナー」のような立場だったことから、13万ドルを警察組織と軍に払っていたと考えられます。

 一方、“エル・チャチョ”(ミニレオ・カルテルとフアレス・カルテルの代理人)は、ヌエボ・ラレドを通過するガルフ・カルテル(Gulf Cartel)等の他組織から、通行手数料(derecho de piso:デレッチョ・デ・ピソ)を徴収していました(*5)。メキシコ麻薬カルテル業界では、縄張りの主は「警察及び軍に対する支払い金」の負担を、「通過する組織」に求めました(*6)。縄張りの主は、「負担金の徴収」という言い分で、通過する組織に対しデレッチョ・デ・ピソを徴取していたのです。2002年以前のヌエボ・ラレドでは“エル・チャチョ”がデレッチョ・デ・ピソを代理徴収しました。

 2002年3月ガルフ・カルテルの戦闘部隊「セタス」(Zetas)がヌエボ・ラレドに侵攻、“エル・チャチョ”の部隊を破り、同年5月までにヌエボ・ラレドの縄張りを支配下に置きました(*5)。セタスの戦功により、ガルフ・カルテルは、ヌエボ・ラレドにおけるデレッチョ・デ・ピソの徴収権を手にしたのです。

 またミレニオ・カルテルは、「コリマ・カルテル」(Colima Cartel)から、大量のアンフェタミン(覚醒剤の一種)を購入し、アパツィンガン(ミチョアカン州)経由でアンフェタミンを密輸していました(*3)。コリマ・カルテルは、ハリスコ州内の密造工場で、メタンフェタミン(覚醒剤の一種)を生産していました(*8)。おそらくコリマ・カルテルはアンフェタミンも密造していたのでしょう。2000年代中頃、コリマ・カルテルは充分に稼いたことから、大半の密造工場をミレニオ・カルテルに売却しました(*8)。

 一方でガルフ・カルテルのセタスがミチョアカン州東部に進出してきました (*7)。セタスの進出により、2006年ミレニオ・カルテルは、ミチョアカン州西部を除いて、ミチョアカン州から去ることを余儀なくされました(*7)。以後、ミレニオ・カルテルはハリスコ州、ナヤリット州、ミチョアカン州西部で活動していきました(*7)。

 2006年以降ミレニオ・カルテルは「連合」(La Federación)の傘下に入りました(*7)。「連合」は2001年10月、「シナロア・カルテル」(Sinaloa Cartel)のリーダー格であるホアキン・“エル・チャポ”・グスマン・ロエラ(Joaquin “El Chapo”Guzmán Loera)の主導で、立ち上げられました(*9)。シナロア・カルテル内の組織や他組織が「連合」を構成していました(*9)。

 「連合」結成の目的は、「密輸経路の開放化」でした(*9)。2001年以前のメキシコ国内では、違法薬物の密輸経路は多数ありましたが、各密輸経路の利用組織は限定されており、閉鎖的な側面がありました(*9)。例えばA麻薬カルテルは「Bルート」「Cルート」のみ利用でき、基本的には「Dルート」「Eルート」を利用できないといったことがありました。閉鎖的であれば、通行手数料は高く据え置かれるはずです。「連合」は加盟組織に対し、従来利用していなかった組織にも、リーズナブルな料金(通行手数料)で開放するように、促しました(*9)。

 ガルフ・カルテルとティフアナ・カルテルは「連合」には加盟しませんでした(*9)。ただしガルフ・カルテルは、モンテレイ(ヌエボ・レオン州)→ヌエボ・ラレド(タマウリパス州)の経路においては、通行手数料をリーズナブルな価格に設定し、「連合」側に配慮を示しました(*9)。

 ミレニオ・カルテルは、ハリスコ州の「連合」の傘下に入りました(*10)。ハリスコ州の「連合」は、実質シナロア・カルテルでした(*10)。シナロア・カルテルは、ミレニオ・カルテルから、メタンフェタミン密造工場(元々はコリマ・カルテルの密造工場) を「接収」しました(*8)。

 2010年春、ミレニオ・カルテルは分裂しました(*10)。同年(2010年)旧ミニレオ・カルテルの一派が「ハリスコ新世代カルテル」(Jalisco Nueva Generación Cartel)を結成しました(*10)。

 話を2000年代前半のミチョアカン州に戻します。2000年代前半、ミチョアカン州内の独立系密売人のカルロス・アルベルト・“エル・ティシコ”・ロサレス・メンドーサ(Carlos Alberto “El Tísico”  Rosales Mendoza)は、ミレニオ・カルテルと仲違いをしました(*2)。先述したように、2000年代前半のミチョアカン州では、ミレニオ・カルテルが裏社会を支配していました。 “エル・ティシコ”は「支配者ミレニオ・カルテル」に対抗すべく、タマウリパス州のガルフ・カルテルとその戦闘部隊セタスと手を組みました(*2)。両者の同盟には、“エル・ティシコ”にとっては「外部勢力の利用」、ガルフ・カルテルにとっては「ミチョアカン州進出の足掛かり」というメリットがあったと考えられます。

 また“エル・ティシコ”はナザリオ・モレノ・ゴンザレス(Nazario Moreno González)と彼のグループを自陣に引き入れました(*2)。“エル・ティシコ”勢力の中に、初めに述べた「自警団の勢力」が含まれていたと考えられています(*2)。

 2003年夏にはセタスの部隊がミチョアカン州内を動き回っていました(*2)。“エル・ティシコ”勢力の戦闘要員も2003年夏、ミレニオ・カルテルの構成員らを殺害し、戦功を挙げていました(*2)。セタスが“エル・ティシコ”勢力の戦闘要員に対し、訓練を提供していました (*2)。またセタスは“エル・ティシコ”勢力に対し、武器も供与していました(*2)。

 2004年10月“エル・ティシコ”は逮捕されました(*2)。後に“エル・ティシコ”勢力は「ファミリア・ミチョアカナ・カルテル」になりました(*1)。ナザリオ・モレノ・ゴンザレスがファミリア・ミチョアカナ・カルテルを率いていきました (*11)。

 ファミリア・ミチョアカナ・カルテルの活動は2006年に顕在化しました。また同年(2006年)ミレニオ・カルテルは、ミチョアカン州西部を除き、ミチョアカン州から撤退しました。同年(2006年)に両団体は大きな動きをしたのです。

 ミレニオ・カルテルの撤退により生まれた空隙をファミリア・ミチョアカナ・カルテルが埋めた格好になっています。

 ファミリア・ミチョアカナ・カルテルは2006年以降、セタスと激しい抗争をしていきました(*1)。かつての同盟組織セタスと対立した背景には、セタスがメタンフェタミン密造ビジネスに参入したことがありました(*12)。ファミリア・ミチョアカナ・カルテルの資金獲得源の1つに、メタンフェタミンビジネスがありました(*12)。ファミリア・ミチョアカナ・カルテルはメタンフェタミンビジネスの為に、オランダ、インド、中国、ブルガリアにネットワークを有していました (*12)。ファミリア・ミチョアカナ・カルテルにとって、セタスのメタンフェタミン密造ビジネス参入は、収益の減少につながると考えたのかもしれません。

 ファミリア・ミチョアカナ・カルテルはセタスを追い出す為に、シナロア・カルテルと手を組みました(*1)。結果ファミリア・ミチョアカナ・カルテル側が優勢となり、セタスをミチョアカン州から押し出しました(*12)。

 ファミリア・ミチョアカナ・カルテルは、距離的に近いラサロ・カルデナス港(ミチョアカン州南部のラサロ・カルデナス市)を通じて、コロンビアからコカインを、アジアからメタンフェタミンの製造原料を海路で仕入れていました(*12)。

 ファミリア・ミチョアカナ・カルテルの副司令官ラファエル・セデーニョ・エルナンデス(Rafael Cedeño Hernández)は、2009年4月以前「ラサロ・カルデナス市の縄張り」を任されていました(*1)。ちなみにラファエル・セデーニョ・エルナンデスは元々「州の検察官」でした(*1)。

 ファミリア・ミチョアカナ・カルテルは、ラサロ・カルデナス港に近かったことから、「仕入れ」面には長けていました。一方「アメリカ合衆国向け輸送」という面において、ファミリア・ミチョアカナ・カルテルは、地理的に不利でした(ミチョアカン州とアメリカ合衆国との国境が遠く離れている為)。ファミリア・ミチョアカナ・カルテルはアメリカ合衆国に陸路でメタンフェタミン等を密輸する際、通過するアメリカ合衆国との国境地帯を支配する麻薬カルテルに対し、デレッチョ・デ・ピソ(通行手数料)を支払わなければならなかったのです。

 陸路面の不利を改善する為、ファミリア・ミチョアカナ・カルテルは他団体と交渉をしました(*1)。結果、2010年前半ファミリア・ミチョアカナ・カルテルは、ラ・ルモロサ(バハ・カリフォルニア州)に拠点(前進基地)を置くことになりました(*1)。ラ・ルモロサはアメリカ合衆国との国境地帯の街で、テカテ(バハ・カリフォルニア州)とメヒカリ(バハ・カリフォルニア州)の間に位置しています。ティフアナの場合は国境を超えたところにサンディエゴ(カリフォルニア州)という大都市が控えています。テカテは同名のテカテ(カリフォルニア州)、メヒカリはカレクシコ(カリフォルニア州)という街が国境を超えたところに控えています。しかしラ・ルモロサの場合、国境を超えた先に街はありません。ラ・ルモロサは「国境越えしやすい」場所ではなかったと考えられます。

 ファミリア・ミチョアカナ・カルテルはミチョアカン州における違法薬物の密造ビジネスを仕切り、また南隣のゲレロ州に進出しました(*1)。

 違法薬物ビジネスに加えて、ファミリア・ミチョアカナ・カルテルは合法企業からミカジメ料を徴収していました(*1)。

 外交面においてファミリア・ミチョアカナ・カルテルは2010年11月以降、ガルフ・カルテルと同盟を結びました(*1)。同盟締結の発端は、ガルフ・カルテル共同指導者の殺害でした。

 2010年11月5日マタモロス(タマウリパス州)にて、ガルフ・カルテル共同指導者の1人であるアントニオ・カルデナス・ギジェン(Antonio Cardenas Guillen)(*13)が、メキシコ海軍により殺害されました(*14)。アントニオ・カルデナス・ギジェンの別名は「トニー・トルメンタ」(Tony Tormenta)でした(*15)。

 アントニオ・カルデナス・ギジェンが殺害されたマタモロスは、アメリカ合衆国との国境地帯の街で、マタモロスから国境(リオ・グランデ川)を超えるとブラウンズビル(テキサス州)が控えています。マタモロスとブラウンズビルは双子都市を形成しています。マタモロスは、レイノサ(タマウリパス州)とともに、ガルフ・カルテルの縄張りでした(*15)。

 アントニオ・カルデナス・ギジェンは、先代オシエル・カルデナス・ギジェン(Osiel Cárdenas Guillén)の兄弟でした(*15)。先代オシエル・カルデナス・ギジェン(当時32歳)は1999年6月ガルフ・カルテルのトップに就きましたが、2003年3月14日に逮捕されました(*15)。さらに2007年1月先代オシエル・カルデナス・ギジェンはアメリカ合衆国に引き渡されました(*15)。

 オシエル・カルデナス・ギジェンの社会不在後、アントニオ・カルデナス・ギジェンとホルヘ・エドゥアルド・“エル・コス”・コスティージャ・サンチェス(Jorge Eduardo“El Coss” Costilla Sánchez)がガルフ・カルテルを率いていました(*15)。

 2010年11月5日にアントニオ・カルデナス・ギジェン(共同指導者の1人)が殺害された後、もう1人の共同指導者ホルヘ・エドゥアルド・“エル・コス”・コスティージャ・サンチェスは、先述したように、ファミリア・ミチョアカナ・カルテルと同盟を結びました(*1) (*11)。

 アントニオ・カルデナス・ギジェンの殺害後、ガルフ・カルテルから一部勢力が脱退していきました(*16)。2010年2月にはセタスがガルフ・カルテルから独立していました(*17)。当時のガルフ・カルテルは弱体化していたことが窺えます。

 先述したように、2006年以降ファミリア・ミチョアカナ・カルテルはセタスと抗争し、セタスをミチョアカン州から追い出していました。2010年2月より前のセタスは「ガルフ・カルテル内の組織」でした。

 ホルヘ・エドゥアルド・“エル・コス”・コスティージャ・サンチェスは、組織のさらなる弱体化を懸念して、ファミリア・ミチョアカナ・カルテルと同盟を結んだのでしょう。ファミリア・ミチョアカナ・カルテルは同盟を結んだ後、タマウリパス州に戦闘部隊を派遣しました(*1) (*11)。両団体の同盟は「新連合」(Nueva Federación)とも呼ばれました(*16)。

 2010年12月、捜査機関がファミリア・ミチョアカナ・カルテルの構成員を取り調べていた際、「トップのナザリオ・モレノ・ゴンザレスは殺害された」という話を得ました(*11)。捜査機関及びメキシコ政府は、その話を信じました(*11)。実際は、ナザリオ・モレノ・ゴンザレスは死んでいませんでした)(*11)。

 その後ファミリア・ミチョアカナ・カルテル内で離脱する勢力が現れました(*11)。一方旧ファミリア・ミチョアカナ・カルテルの勢力は2011年3月、新団体「テンプル騎士団」(Knights Templar)を結成しました(*11)。テンプル騎士団結成の主導者は、セルバンド・“ラ・トゥータ ”・ゴメス(Servando “La Tuta” Gómez)とエンリケ・“エル・キケ”・プランカルテ・ソリス(Enrique “El Kike” Plancarte Solís)の2名でした(*11)。

 ナザリオ・モレノ・ゴンザレスは田舎の村で暮らし、違法薬物ビジネスをセルバンド・ゴメスとエンリケ・プランカルテ・ソリスに任せていました(*11)。テンプル騎士団において「本当のトップ」は、ナザリオ・モレノ・ゴンザレスだったのです。

 テンプル騎士団は、バハ・カリフォルニア州経由ルートもしくはタマウリパス州経由ルートにて、コカインとメタンフェタミンをアメリカ合衆国に密輸していました(*11)。

 アメリカ合衆国カリフォルニア州の刑務所ギャング「ラ・エメ」(La Eme)はファミリア・ミチョアカナ・カルテルと関係を有していました(*18)。またラ・エメは、ファミリア・ミチョアカナ・カルテルの後継組織となるテンプル騎士団とも手を結んでいました(*18)。ちなみにラ・エメは、ティフアナ・カルテルやシナロア・カルテルとも関係を有していました(*18)。

 2011年4月テンプル騎士団は、「マラ・サルバトルチャ13」(Mara Salvatrucha 13)のルイス・ジェラルド・“リトル・ワン”・ベガ(Luis Gerardo“Little One”Vega)と違法薬物の取引を成立させました(*18)。マラ・サルバトルチャ13は、「ラ・エメの下部団体」(いわゆるスレーニョス:Sureños)でした(*19)。

 カリフォル州南部のヒスパニック系ストリートギャングで(*19)、加えて「ラ・エメに上納金を払っている」組織が、「スレーニョス」に該当しました (*20)。実際ルイス・ジェラルド・ベガの後ろには、マラ・サルバトルチャ13だけでなく、上部団体のラ・エメが控えていました(*18)。

 ラ・エメは違法薬物ビジネスでは、メキシコ麻薬カルテルから違法薬物を仕入れ、スレーニョスに違法薬物を卸すという「卸売」のポジションにいました(*21)。

 テンプル騎士団の話に戻します。テンプル騎士団は、ファミリア・ミチョアカナ・カルテル同様、ミチョアカン州の合法企業からミカジメ料を徴収しました(*11)。

 テンプル騎士団はグアナフアト州、ゲレロ州、メキシコ州、メキシコ市郊外に進出していきました(*11)。

 テンプル騎士団の違法薬物ビジネスにおいて、ハリスコ新世代カルテル(2010年結成)の存在は、阻害要因となっていました。ハリスコ新世代カルテルはハリスコ州を本拠地とし (*10)、2012年前半時点ではコリマ州、ミチョアカン州北部、グアナフアト州に進出していました(*11)。

 ミチョアカン州の北隣はコリマ州、ハリスコ州、グアナフアト州、ケレタロ州です。ケレタロ州を除いて、ミチョアカン州の北隣にはハリスコ新世代カルテルが活動していたことになります。ケレタロ州とミチョアカン州はわずかしか接していません。ハリスコ新世代カルテルが、テンプル騎士団の北方面陸路を塞いでいる格好になっていました。

 テンプル騎士団には約600人の戦闘要員がいましたが、ハリスコ新世代カルテルを従わせるほどの力はありませんでした(*11)。結果、テンプル騎士団の収益は落ちていきました(*11)。

 メキシコ政府はテンプル騎士団に対する攻勢を強めていきました。2014年3月9日メキシコ海軍特殊部隊がトゥンビスカティオ(ミチョアカン州南西部)でナザリオ・モレノ・ゴンザレスを射殺しました(*22)。

 同年(2014年)3月31日エンリケ・プランカルテ・ソリスがメキシコ海軍特殊部隊により射殺されました(*22)。翌2015年2月27日、連邦警察はセルバンド・ゴメスと多数の関係者を逮捕しました(*22)。また当局はテンプル騎士団の資産を押収しました(*22)。

<引用・参考文献>

*1 『Mexican Cartels: An Encyclopedia of Mexico’s Crime and Drug Wars』(David F. Marley,2019,Abc-Clio Inc),p102-103

*2 『Mexican Cartels: An Encyclopedia of Mexico’s Crime and Drug Wars』,p101

*3 『Mexican Cartels: An Encyclopedia of Mexico’s Crime and Drug Wars』,p224-226

*4 『Mexican Cartels: An Encyclopedia of Mexico’s Crime and Drug Wars』,p227

*5 『Mexican Cartels: An Encyclopedia of Mexico’s Crime and Drug Wars』,p286-287

*6 『Mexican Cartels: An Encyclopedia of Mexico’s Crime and Drug Wars』,p91

*7 『Mexican Cartels: An Encyclopedia of Mexico’s Crime and Drug Wars』, p230

*8 『Mexican Cartels: An Encyclopedia of Mexico’s Crime and Drug Wars』, p223

*9 『Mexican Cartels: An Encyclopedia of Mexico’s Crime and Drug Wars』, p161

*10 『Mexican Cartels: An Encyclopedia of Mexico’s Crime and Drug Wars』, p186

*11 『Mexican Cartels: An Encyclopedia of Mexico’s Crime and Drug Wars』, p104

*12 InSight Crimeサイト「Familia Michoacana」(InSight Crime,2020年5月5日)

https://insightcrime.org/mexico-organized-crime-news/familia-michoacana-mexico-profile

*13 InSight Crimeサイト「Antonio Cardenas Guillen, alias ‘Tony Tormenta’」(InSight Crime,2016年11月17日)

https://insightcrime.org/mexico-organized-crime-news/antonio-cardenas-guillen-tony-tormenta

*14 『Mexican Cartels: An Encyclopedia of Mexico’s Crime and Drug Wars』, p144-145

*15 『Mexican Cartels: An Encyclopedia of Mexico’s Crime and Drug Wars』, p141-142

*16 『Mexican Cartels: An Encyclopedia of Mexico’s Crime and Drug Wars』, p304

*17 『コカイン ゼロゼロゼロ 世界を支配する凶悪な欲望』(ロベルト・サヴィアーノ著、関口英子/中島知子訳、2015年、河出書房新社),p137

*18 InSight Crimeサイト「How the MS13 Got Its Foothold in Transnational Drug Trafficking」(Carlos García,2016年11月30日)

https://insightcrime.org/investigations/how-the-ms13-got-its-foothold-in-transnational-drug-trafficking

*19 『The History of the Mexican Mafia (La eMe)』「Sureños」(Gabe Morales,2022)

*20 『The History of the Mexican Mafia (La eMe)』「EME Command,Control,and Taxation」(Gabe Morales,2022)

*21 『State of War MS-13 and El Salvador’s World of Violence』(William Wheeler、2020年、Columbia Global Reports), p37

*22 『Mexican Cartels: An Encyclopedia of Mexico’s Crime and Drug Wars』, p105-106

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