沖縄とワンパーセンターズ系バイカークラブ

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 日本においてもワンパーセンターズ(1%ers)系バイカークラブが活動してきました。アメリカ合衆国のワンパーセンターズ系バイカークラブ「ヘルズ・エンジェルス」(Hell’s Angels)は2014年、日本にノマド(Nomads)支部を設立し、日本進出を果たしました(*1)。ノマド支部は地理的制限を受けずに活動できます(*2)。2024年現在、ヘルズ・エンジェルスは日本において2つの支部(東京、甲府)とノマド支部を置いています(*1)。

 アメリカ合衆国のワンパーセンターズ系バイカークラブで日本に最初に進出したのは、「アウトローズ」(Outlaws)でした(*3)。アウトローズは2006年11月後半、沖縄県沖縄市に支部を開設しました(*4)。アウトローズにとって、この沖縄市支部は極東で最初の支部となりました(*4)。2024年現在、アウトローズは沖縄支部に加えて、神奈川県にも支部を置いています(*5)。

 アウトローズが2006年に支部を開設した沖縄市は、沖縄本島の真ん中より少し南に位置しています(*6)。1974年コザ市と美里村(みさとそん)が合併し、「沖縄市」が誕生しました(*6)。

 沖縄県は1945年沖縄戦があり、その後1972年まで米軍が統治していました(*7)。

 米軍統治時代(1945~1972年)、コザ市と美里村には米軍兵士を対象とした特飲街がありました(*8)。特飲街ではバー、クラブ、キャバレー等が営業しており、また売春も提供されていました(*8)。

 1950年沖縄で最初の特飲街が、越来村コザ地区に作られました(*9)。1950年頃に米空軍のメイヤー中佐が越来村(コザ市の前身)の村長に「兵士の遊び場の設置」を要請したことが、きっかけだったといわれています(*8)。1956年越来村は「コザ市」となりました(*9)。

 越来村の近くの嘉手納村には米軍基地がありました(*9)。その嘉手納村の米軍基地には「米軍の司令部」が置かれていました(*8)。

 1950年以降沖縄において特飲街は、先述の美里村、那覇、金武、名護にも形成されていきました(*8)。米軍は特飲街において風俗業施設許可基準を設け、その基準に合格した風俗店にAマーク(Aは「approved for forces」の頭文字をとった)を与えました(*8)。Aマークの店は「Aサインバー」と呼ばれ、米軍兵士専門の店として、ドルを獲得することができました(*8)。

 コザ市のAサインバーでは、米軍兵士のトラブル対応として「用心棒業」の需要が生まれました(*8)。アウトローグループがその用心棒業を担っていきました(*8)。またコザ市では米軍からの横流し品が流通していました(*8)。

 1952年コザ市において「コザ派」と呼ばれるアウトローグループが形成されました(*10)。沖縄ヤクザ組織の源流は二派ありました。1つがコザ派で、もう1つが「那覇派」でした(*8)。那覇派は那覇市壺屋を拠点に活動していました(*8)。

 1970年12月には数千人の沖縄人により「コザ蜂起」(コザ暴動)が起きました(*11)。1972年沖縄は日本に復帰しました(*7)。

 沖縄市では1996年から「ゲート2フェスト」というバイクイベントが開催されてきました(*12)。ゲート2フェストは“ゲート通り”(嘉手納基地の第2ゲートに続く通り)で行われてきました(*12)。2024年は11月24日(日曜日)にゲート2フェストが開催されました(*12)。

 『VIBES』2025年1月号が今年(2024年)のゲート2フェストをレポートしており(*12)、そのレポートの写真には「アウトローズのパッチ付きのベストを着た人達」も写っていました(*12)。ある1人のベスト背部の上部には「Outlaws」というパッチ、真ん中にはロゴのパッチ、下部には「Japan」というパッチが縫い付けられていました(*12)。おそらく、その人はアウトローズ沖縄支部もしくは神奈川支部の構成員だったと考えられます。

 神奈川県にも米軍の基地(横須賀海軍施設、厚木海軍飛行場等)があることから、日本のアウトローズの構成員は米軍兵士及びその関係者なのかもしれません。

 米軍兵士が日本でバイカークラブの設立に関与したケースは過去にもありました。1983年バイカークラブ「アメリカン・スティール」(American Steel)が沖縄県で結成されました(*13)。アメリカン・スティール初期構成員は、日本に駐在するアメリカ合衆国の政府関係職員と兵士でした(*13)。

 アメリカン・スティールのサイト上では、ワンパーセンターズ(1%ers)と示す情報はありません(*13)。アメリカン・スティールはおそらくワンパーセンターズ系のバイカークラブではないと考えられます。

 ワンパーセンターズとは、「アウトロー・モーターサイクル・クラブ」(Outlaw motorcycle club)もしくはバイカーギャングの別名です(*14)。

 打越正行のフィールドワークによると、2007年頃の沖縄県では、離島やへき地、私立を除くほとんどの中学校では、各々の暴走族が活動していました(*15)。当時沖縄の暴走族には、地元のリーダー格の先輩が大型バイクを運転し、16歳になった者が小型バイクを運転し、15歳以下の者は小型バイクの後部座席にまたがるという慣習がありました(*15)。つまり中学生だけで暴走族が構成されていたわけではなく、「現役中学生」+「その中学校OB」で構成されていたと考えられます。当時、沖縄の暴走族は国道58号線(沖縄の幹線道路)を走っていました(*15)。

<引用・参考文献>

*1 ヘルズ・エンジェルスのサイト「Japan」

https://www.hells-angels.com/japan

*2 『Biker Gangs and Transnational Organized Crime Second Edition』(Thomas Barker,2014,Routledge),p131

*3 『The Fat Mexican: The Bloody Rise of the Bandidos Motorcycle Club』(Alex Caine,2010,Vintage Canada),p186

*4 『Outlaws: Inside the Hell’s Angel Biker Wars』(Tony Thompson,2012,Hodder Paperback), p301

*5 アウトローズのサイト「Chapter」

http://www.outlawsmcworld.com/chapter.htm

*6 沖縄市のサイト「沖縄市を知ろう!」

https://www.city.okinawa.okinawa.jp/shiseijouhou/gaiyou/shirou/126.html

*7 『つながる沖縄近現代史-沖縄のいまを考えるための十五章と二十のコラム』「はじめに 近くて遠い、近現代史へのミチシルベ」(前田勇樹・古波藏契、2021年、ボーダーインク), p3-5

*8 『洋泉社MOOK・沖縄ヤクザ50年戦争』(有限会社創雄社『実話時代』田中博昭編、2004年、洋泉社),p54-56

*9 『洋泉社MOOK・沖縄ヤクザ50年戦争』,p41-42

*10 『洋泉社MOOK・沖縄ヤクザ50年戦争』,p58

*11 『つながる沖縄近現代史-沖縄のいまを考えるための十五章と二十のコラム』「コラム⑯ 沖縄アイデンティティーにとってコザ蜂起とは?」(ウエスリー上運天、2021年、ボーダーインク), p178-179

*12 『VIBES』2025年1月号(Vol.375)「GATE 2 FEST KOZA GATE STREET,OKINAWA」,p50-55

*13 アメリカン・スティールのサイト

あわせて読みたい
American Steel Motorcycle Club - Home American Steel Motorcycle Club - World Wide

*14 『The Brotherhoods: Inside the Outlaw Motorcycle Clubs』(Arthur Veno,2009,Allen & Unwin),p23-24

*15 『ヤンキーと地元 ― 解体屋、風俗経営者、ヤミ業者になった沖縄の若者たち』(打越正行、2024年、ちくま文庫), p28-30

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