山口組の盃直しにおける「舎弟の割合」

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 ヤクザ組織において「新しくトップに就いた者」(A)は、新体制発足時、「配下の者達」と盃を交わしました(*1)。ちなみに例外もあり、「連合型のヤクザ組織」においては盃が交わされなかった場合(「日本国粋会」等)もありました(*2)。

 前体制においてAが若頭(テキヤ組織の場合は「実子分」)だったとします。一方「配下の者達」は前体制では基本的に、当時のトップ(B)の「子分」もしくは「舎弟」でした(*1)。若頭Aも「Bの子分」でした(*1)。

 前体制下、若頭Aにとって「Bの子分(Aを除く)」は「兄弟分」(ノレン兄弟)でした(*3)。一方、若頭Aにとって、「Bの舎弟」は「叔父貴」でした(*1)。

 先述したように新体制下トップAは、配下の者達(「Bの子分」及び「Bの舎弟」)と盃を交わしました。

 博徒組織系では「Bの子分」はAから盃をもらえば、「Aの子分」になりました(*1)。一方「Bの舎弟」がAから盃をもらえば、「Aの舎弟」になりました(*1)。「Bの舎弟」は、前体制下では「Aの叔父貴」でしたが、新体制下では「Aの舎弟」になったのです。このような関係の変化は「盃を直す」と呼ばれました(*1)。

 「Bの舎弟」にとって「盃を直さない」(新トップAと盃を交わさない)という選択肢もありました(*1)。選択肢には引退、名誉職就任(その際、新トップAと盃を交わさない)がありました(*1)。

 一方テキヤ組織の場合、「Bの舎弟」はAと盃を交わさず、新体制でも引き続き「Aの叔父貴」として残留しました(*1)。

 「山口組」では代替わり時、「盃直し」(親子盃及び兄舎弟盃の執り行い)(*4)がありました。

 四代目竹中正久組長体制(1984年~1989年)(*5)では1984年6月21日、「盃直し」として親子盃及び兄舎弟盃が執り行われました(*6)。この盃事により46名が「竹中正久の子分」、23名が「竹中正久の舎弟」になりました(*6)。舎弟の割合は33%(小数点以下切り捨て)でした。四代目襲名式は翌月(7月)10日に行われました(*6)。

 五代目渡辺芳則組長体制(1989年~2005年)(*5)では1989年5月18日、「盃直し」として親子盃及び兄舎弟盃が執り行われました(*7)。この盃事により45名が「渡辺芳則の子分」、24名が「渡辺芳則の舎弟」になりました(*7)。舎弟の割合は34%(小数点以下切り捨て)でした。一方、中西一男(中西組組長)、益田佳於(益田組組長)、小西音松(小西一家総長)、伊豆健児(伊豆組組長)の4名は渡辺芳則と盃を交わしませんでしたが、「最高顧問」もしくは「顧問」という職に就き、五代目体制の山口組に残留しました(*7)。五代目襲名式は同年(1989年)7月20日に行われました(*7)。

 六代目司忍組長体制(2005年~現在)(*5)では2005年8月27日、「盃直し」として親子盃及び兄舎弟盃が執り行われました(*8)。この盃事により82名が「司忍の子分」、15名が「司忍の舎弟」になりました(*8)。舎弟の割合は15%(小数点以下切り捨て)でした。当日は継承盃も執り行われました(*8)。

 他団体の盃直しも見てみましょう。「稲川会」の2次団体「小金井一家」(十二代目池田龍治総長)では2015年11月25日、「盃直し」として親子盃及び兄舎弟盃が執り行われました(*9)。この盃事により22名が「池田龍治の子分」、5名が「池田龍治の舎弟」になりました(*9)。舎弟の割合は18%(小数点以下切り捨て)でした。また先代(十一代目総長)の瀬戸正昭は、十二代目池田龍治総長体制(2015年11月~現在)開始時、「最高顧問」に就きました(*9)。おそらく瀬戸正昭は、池田龍治総長と盃を交わさずに、十二代目池田龍治総長体制の小金井一家に残留したと考えられます。継承盃は同月(11月)8日に執り行われていました(*10)。

 テキヤ組織「極東会」の3次団体「眞一家」(三代目高橋貴王総長)では2017年3月19日、「盃直し」として親子盃及び兄舎弟盃が執り行われました(*10)。この盃事により10名が「高橋貴王の子分」、5名が「高橋貴王の舎弟」になりました(*10)。舎弟の割合は33%(小数点以下切り捨て)でした。テキヤ組織の盃直しにおいて舎弟が誕生していることから、眞一家は博徒系の盃直しを取り入れたのだと考えられます。当日は継承盃も執り行われました(*10)。

 「道仁会」(福田憲一五代目会長)では2024年5月27日、「盃直し」として親子盃及び兄舎弟盃が執り行われました(*11)。この盃事により23名が「福田憲一の子分」、5名が「福田憲一の舎弟」になりました(*11)。舎弟の割合は17%(小数点以下切り捨て)でした。当日は継承盃も執り行われました(*11)。

 「親子盃」のみ交わす盃直しもありました。「双愛会」(七代目会長・椎塚宣)では2016年6月5日、「盃直し」として親子盃のみが執り行われました(*12)。この盃事により4名が「椎塚宣の子分」になりました(*12)。当日は継承盃も執り行われました(*12)。双愛会には2次団体が6つありました(*12)。この親子盃で6つのうちの4つのトップが椎塚宣の子分になりました(*12)。残りの2つは「寺島一家」と「高寅一家」でした(*12)。寺島一家に関しては、椎塚宣が双愛会会長とともに、寺島一家の総長も務めていました(*12)。高寅一家は当時、総長に就く者がいませんでした (*12)。

 「旭琉會」(二代目会長・糸数真)では2025年2月8日、「盃直し」として親子盃のみが執り行われました(*13)。この盃事により約20名が「糸数真の子分」になりました(*13)。当日は継承盃も執り行われました(*13)。

<引用・参考文献>

*1 『現代ヤクザ大事典』(実話時代編集部編、2007年、洋泉社), p10-11

*2 『洋泉社MOOK・ヤクザ・指定24組織の全貌』(有限会社創雄社・実話時代編集部編、2002年、洋泉社),p160-165

*3 『現代ヤクザ大事典』, p91

*4 『現代ヤクザ大事典』, p102

*5 『山口組の100年 完全データBOOK』(2014年、メディアックス), p22-32

*6 『撃滅 山口組VS一和会』(溝口敦、2000年、講談社+α文庫), p107,117-119

*7 『ドキュメント 五代目山口組』(溝口敦、2002年、講談社+α文庫), p274,290-291

*8 『山口組の100年 完全データBOOK』, p310

*9 『実話時代』2016年2月号,p12-16

*10 『実話時代』2017年6月号,p52-55

*11 『週刊実話』2024年6月20日号,p176-177

*12 『実話時代』2016年8月号,p13-16

*13 『週刊実話』2025年3月6・13日合併号,p176-177

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