上州屋一家

  • URLをコピーしました!

 博徒組織「上州屋一家」(もしくは「上州屋」)の島村勝太郎は、日本橋人形町を拠点に活動していました(*1)。島村勝太郎は親分格であり、梅津勘兵衛(上州屋一家二代目総長)とは一家内の兄弟分(通称:ノレン兄弟)(*2)の関係を有していました(*1)。ノレン兄弟において地位は全員同じでした(*2)。上州屋一家初代は鴨居由五郎でした(*3)。島村勝太郎は初代もしくは二代目(梅津勘兵衛)の時代に上州屋一家の貸元であったと考えられます。

 上州屋一家は隅田川において船上賭場を開帳していました(*1)。また上州屋一家は日本橋小網町を縄張りにしていました(*4)。

 太平洋戦争終了(1945年)後の1951年11月、政界側の木村篤太郎法務総裁を中心とする勢力が、「反共(反共産主義)運動」の活動組織として、「反共抜刀隊」を結成しました(*5)。この結成時点(1951年11月)において反共抜刀隊の「組織実態」はなく、「計画」のみがあった状態でした(*5)。

 そこで木村篤太郎法務総裁らは反共抜刀隊の「実働部隊」をヤクザ組織に担わせようと企み、先述の梅津勘兵衛(上州屋一家二代目総長)に話を持ち掛けました(*5)。

 梅津勘兵衛はその話を当初断ったといわれています(*5)。それに対し木村篤太郎法務総裁が、賭博行為に関しては非現行で検挙しないことを梅津勘兵衛に確約したことで、梅津勘兵衛は了承しました(*5)。その後梅津勘兵衛は博徒組織の親分らに「反共抜刀隊への参加」を呼びかけていきました(*5)。

 またテキヤ業界にも「反共抜刀隊への参加」が呼びかけられ、「露店再開に対する協力」が匂わされました(*6)。当時、露店(常設露店、縁日の仮設露店)が禁止されていました(*7)。テキヤ業界は露店再開を希望していました(*7)。ちなみに1952年末、縁日の露店の再開が決定しました(*7)。

 反共抜刀隊計画ですが、吉田茂首相が拒否したことで、結局、反共抜刀隊は実現化には至りませんでした(*6)。

 梅津勘兵衛は1953年、82歳で死去しました(*2)。ちなみに梅津勘兵衛は博徒組織「上萬一家」の出身者でした(*8)。梅津勘兵衛は「本郷の隠居」とも呼ばれていました(*3)。

 先述したように上州屋一家の島村勝太郎は、日本橋人形町を拠点に活動していました。博徒組織「生井一家」も、四代目・小川卯兵衛の時代から、日本橋人形町を拠点に活動していました(*9)。

 戦前(1941年以前)、東京・日本橋蠣殻(かきがら)町付近では8組織が賭場を開帳していました(*10)。蠣殻町と人形町は隣接しています。このことは「蠣殻町八天下」と呼ばれました(*10)。営業時間は「午前」「午後」「宵(日暮から夜中までの間)」「夜中」の4つに区分されていました(*10)。8組織は協調し、営業時間を分けていました(例えばA組織は「午前」、B組織は「午後」に賭場を開帳)(*10)。

 当時の日本橋蠣殻町付近は「出会費場所」だったのです。藤田五郎によれば、出会費場所とは「一町、一村、一字に於て、一家と他家との費場の競合する状態」を指しました(*11)。同一地域において複数の博徒組織が縄張りを持つ状態が、出会費場所だったのです。

 日本橋蠣殻町付近において8組織のうちの1つが生井一家でした(*10)。当時の生井一家は、8組織のうちで最大の勢力を擁していました(*10)。もしかしたら上州屋一家も8組織の1つだったのかもしれません。

 1964年以降、賭博事犯において非現行検挙が行われていきました(*12)。

 ちなみに別の資料によれば「上州屋一家二代目」は鴨居亀吉となっていました(*13)。

<引用・参考文献>

*1 『九州やくざ者』(藤田五郎、1972年、徳間書店),p75-77

*2 『現代ヤクザ大事典』(実話時代編集部編、2007年、洋泉社),p91

*3 『実録 乱世喧嘩状』(藤田五郎、1976年、青樹社),p56

*4 『任俠百年史物語Ⅱ 関東嵐の親分衆』(藤田五郎、1981年、笠倉出版社),p32

*5 『やくざと日本人』(猪野健治、1999年、ちくま文庫), p266-267

*6 『テキヤと社会主義 1920年代の寅さんたち』(猪野健治、2015年、筑摩書房),p188-189

*7 『テキヤと社会主義 1920年代の寅さんたち』,p190-193

*8『関東やくざ者』(藤田五郎、1971年、徳間書店),p86

*9 『洋泉社MOOK・義理回状とヤクザの世界』(有限会社創雄社実話時代編集部編、2001年、洋泉社), p72-73

*10 『破滅の美学 ヤクザ映画への鎮魂曲』(笠原和夫、2004年、ちくま文庫),p98-99

*11『実録 乱世喧嘩状』,p19

*12 『ヤクザ大辞典』(山平重樹監修、週刊大衆編集部編・著、2002年、双葉文庫), p108-109

*13 『仁義の祭り 実録戦後やくざ史』「横浜極道者」(藤田五郎、1988年、青樹社),p131

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!

コメント

コメントする

CAPTCHA


目次