アメリカ合衆国のワンパーセンターズ(1%ers)系バイカーギャング「バンディドス」(Bandidos)は1983年オーストラリアに進出、支部を設けました(*1)。バンディドスは1966年アメリカ合衆国テキサス州の漁村サンレオンで、ドナルド・チェンバース(Donald Chambers)によって結成されました(*2)。
バンディドスのオーストラリア最初の支部はシドニー(ニューサウスウェールズ州)で、オーストラリア系バイカーギャング「コマンチェロズ」(Comancheros)の脱退派によって担われました(*3)。
コマンチェロズは1960年代後半から1970年代前半に結成されたと考えられています(*4)。コマンチェロズの創設者はウィリアム・ジョージ・“ジョック”・ロス(William George “Jock” Ross)でした(*4)。結成地はセントラル・コースト地方(ニューサウスウェールズ州北東部)でした(*5)。1973年以降コマンチェロズはセントラル・コースト地方を離れました(*5)。後にコマンチェロズはシドニー西部郊外のグランビルに拠点を置きました(*6)。
1980年コマンチェロズ(グランビル)から「副長」(Vice-President)、「衛視長」(Sergeant-at-Arms:サージャント・アット・アームズ)と5人の構成員が脱退、構成員数は13人となりました(*6)。しかしその3年後、コマンチェロズ構成員数は40人に増加し、準構成員数も5人となっていました(*6)。1980年以降、コマンチェロズはシドニー西部郊外で勢力を拡張させていったことが分かります。
バンディドスのシドニー支部設立(1983年)の前に、コマンチェロズは分裂していました。1983年コマンチェロズはシドニーの「シティ支部」(city chapter)と「西支部」(western chapter)に分裂しました(*7)。
分裂前にコマンチェロズはクラブハウスを移転させていました。
まず1983年コマンチェロズ内において、グランビル(シドニー西部郊外)からクラブハウスを移転させたいという要望が挙がっていました(*7)。衛視長のシーザー・キャンベル(Caesar Campbell)が移転派の中核を担っていました(*7)。クラブハウス移転の是非を問う投票が実施された結果、移転賛成票が反対票を上回りました(*7)。
同年(1983年)内にコマンチェロズはシドニー中心部に近いバーチグローブにクラブハウスを移転させました(*7)。しかしトップのウィリアム・ジョージ・“ジョック”・ロスは西部郊外に戻ることを望み、会議でコマンチェロズを2つの支部に分けることを告げました(*7)。
この時ウィリアム・ジョージ・“ジョック”・ロスに従ったのが11人で、バーチグローブに残留したのが30人でした(*7)。バーチグローブ残留派が「コマンチェロズ・シティ支部」となりました(*7)。
その後ウィリアム・ジョージ・“ジョック”・ロスが西支部を率いていきました(*7)。一方、シティ支部ではスノッドグラス・スペンサー(Snodgrass Spencer)がトップに選出されました(*7)。スノッドグラス・スペンサーは元々、海軍にいました。(*5)。
分裂直後(1983年)コマンチェロズ・シティ支部トップのスノッドグラス・スペンサーらは、ハーレーダビッドソンの部品を購入する為に、アメリカ合衆国を訪れました(*7)。当時のオーストラリアではハーレーダビッドソンの部品は不足していました(*8)。またスノッドグラス・スペンサーらはアルバカーキ(ニューメキシコ州)に行き、バンディドスの実力者であるロニー・ホッジ(Ronnie Hodge)と会談をしました(*8)。
この会談でロニー・ホッジはスノッドグラス・スペンサーらにバンディドスへの移籍をすすめました(*9)。またアメリカ合衆国のバンディドスがオーストラリア側(スノッドグラスら)に盗品もしくは中古のバイク部品を供給する一方、オーストラリア側は覚醒剤の原料(P2Pなど)をアメリカ合衆国に供給するという取引についても話し合われました(*9)。バンディドス側は当時、覚醒剤を密造していました(*9)。
1980年代前半、覚醒剤の原料となるP2P(フェニル-2-プロパノン)は、アメリカ合衆国では違法薬物でしたが、オーストラリアでは合法薬物として取り扱われていました(*10)。アメリカ合衆国系バイカーギャング「ヘルズ・エンジェルス」(Hell’s Angels)のメルボルン支部(ビクトリア州)の一派は、1980年から、ヘルズ・エンジェルスのアメリカ合衆国勢に、P2Pを無償で供給していきました(*10)。一方メルボルン支部の一派は、ヘルズ・エンジェルスのアメリカ合衆国勢から覚醒剤の密造方法を教えてもらっており、オーストラリアで覚醒剤を密造及び密売することで収益を上げていました(*10)。
メルボルン支部の一派はメルボルンから30マイル(約48㎞)離れたグリーンスロープスというエリアで「密造工場」を設け、24時間で5ポンド(約2.2kg)の覚醒剤を作るまでに至りました(*10)。またこの一派は当初、「違法薬物の卸市場」において1ポンド(約453g)あたり1万豪ドルで覚醒剤を販売しました(*10)。
アメリカ合衆国へのP2P供給は当然「密輸」になる為、メルボル支部の一派は缶詰の中にP2Pを注入するという偽装工作をしていました(*10)。この一派の主要人物がピーター・ジョン・ヒル(Peter John Hill)でした(*10)。ピーター・ジョン・ヒルは1982年と1985年に逮捕され、裁判の結果、有罪判決を受けました(*10)。
ロニー・ホッジは、ヘルズ・エンジェルスのメルボルン支部一派によるP2P密輸情報をどこかで入手していたのでしょう。1978年バンディドスはアメリカ合衆国系「アウトローズ」(Outlaws)と同盟を結びました(*11)。同盟締結後、バンディドスはアウトローズに覚醒剤を供給していきました(*11)。一方のアウトローズは、バンディドスに対しコカインを供給していきました(*11)。1983年時点でもバンディドスはアウトローズに覚醒剤を供給していたのかもしれません。その場合バンディドスは覚醒剤を多く密造しなければならず、バンディドスにとって一定量の原料確保は重要課題だったと考えられます。
ロニー・ホッジは1972~1980年までバンディドスのトップ(national president)でした(*11)。しかし1980年10月ロニー・ホッジは加重暴行の疑いで逮捕されました(*11)。ロニー・ホッジは有罪判決を受けなかったものの、トップの地位を退きました(*11)。その後、アルビン・フレークス(Alvin Frakes)がロニー・ホッジの跡を継きました (*11)。アルビン・フレークスは1985年4月ガンで死去するまで、バンディドスのトップ(national president)を務めました(*12)。アルビン・フレークスのトップ在任期間は1980~1985年4月になりました。
1983年スノッドグラス・スペンサーらとアルバカーキで会談した時、ロニー・ホッジは「前トップ」という肩書だったことが分かります。
コマンチェロズ・シティ支部トップのスノッドグラス・スペンサーらは、オーストラリアに帰国後、バンディドスへの移籍を真剣に考えるようになりました(*7)
その後シティ支部は同年(1983年)内に、コマンチェロズから脱退、バンディドスに移籍しました(*3)。オーストラリア最初の支部を担ったコマンチェロズ脱退派とは、シティ支部のことだったのです。1983年のコマンチェロズの動きを振り返ると「グランビルからバーチグローブにクラブハウスを移転」→「シティ支部と西支部に分裂」→「シティ支部トップらがアメリカ合衆国でバンディドス側と会談」→「シティ支部がコマンチェロズから脱退」→「シティ支部勢力がバンディドスに移籍」という経過がありました。
バンディドス・シドニー支部では、先述のシーザー・キャンベル(コマンチェロズの元衛視長)が衛視長に、シャドー・キャンベル(Shadow Campbell)が副支部長に就きました(*3)。シーザー・キャンベルとシャドー・キャンベルは兄弟でした(*7)。
バンディドス・シドニー支部の定例会議は、毎月第2水曜日の夜に開催されました(*3)。構成員は定例会議に必ず出席しなければならず、1年に3回欠席した構成員は「構成員の資格停止処分」となりました(*3)。ちなみに結成当初のコマンチェロズの定例会議は、土曜日に開催されていました(*5)。
コマンチェロズ・シティ支部では、構成員の会費(支部に支払う金)は2週間につき5ドルでした(*13)。しかしバンディドス・シドニー支部では、構成員の会費は2週間につき6ドルに値上げされました(*13)。バーチグローブのクラブハウスの家賃(毎週)は300ドルであり、バンディドス・シドニー支部は家賃を捻出する為に、会費の値上げを行いました(*13)。
一方コマンチェロズ(旧コマンチェロズ西支部勢力)は、1984年2月シドニー西部郊外のハリスパークに新しいクラブハウス(本部施設)を設けました(*14)。ハリスパークの新クラブハウスは、グランビルの旧クラブハウスと2kmほど離れていました(*14)。
1984年2月時点でコマンチェロズの構成員数は、トップのウィリアム・ジョージ・“ジョック”・ロスを除いて、14人でした (*15)。同年(1984年)5月までにはコマンチェロズの勢力は3倍になっていました(*15)。
2009年春の時点で、オーストラリアのバンディドスは35支部を擁していました(*1)。2009年時バンディドス・オーストラリア勢のトップ(National President)は、ジェイソン・アディントン(Jason Addington)でした(*1)。
2012年の情報では、バンディドス・オーストラリア勢は全ての州に複数の支部を設け、オーストラリア全体で約250人の構成員を擁していました(*16)。バンディドスが最も活発に活動していた州がニューサウスウェールズ州でした(*16)。
2012年時のバンディドス・オーストラリア勢では、ニューサウスウェールズ州において、シドニー支部に加えて、ハンター・バレー(Hunter Valley)支部、ミッドノースコースト(mid-north coast)支部、ニューサウスウェールズ中部(central New South Wales)支部などがありました(*16)。また「レーシングクラブ」(Racing Club)という名の支部もありました(*16)。「レーシングクラブ支部」はシドニーを本拠地にするものの、各地で活動していました(*16)。レーシングクラブ支部は、文字通り、レーシングクラブ(主にダートレース)でした(*16)。
またオーストラリアではバンディドスのサポートクラブ(Support club)として「ファト・メキシカン・サポートクラブ」(Fat Mexican Support Club)(*17)、「Xチーム」(X-Team) (*18)がありました。
<引用・参考文献>
*1『The Fat Mexican: The Bloody Rise of the Bandidos Motorcycle Club』(Alex Caine,2010,Vintage Canada),p154
*2『The Fat Mexican: The Bloody Rise of the Bandidos Motorcycle Club』,p11
*3『Brothers in Arms:Bikie Wars』(Lindsay Simpson & Sandra Harvey,2012,Allen & Unwin),p36
*4 『The One Percenter Encyclopedia: The World of Outlaw Motorcycle Clubs from Abyss Ghosts to Zombies Elite (English Edition)』Kindle版「Comanchero MC」(Bill Hayes,2018, Motorbooks)
*5『Brothers in Arms:Bikie Wars』,p17-22
*6『Brothers in Arms:Bikie Wars』,p25
*7『Brothers in Arms:Bikie Wars』,p31-34
*8 『Angels of Death: Inside the Bikers’ Global Crime Empire』(William Marsden&Julian Sher,2007,Hodder & Stoughton), p117
*9 『Angels of Death: Inside the Bikers’ Global Crime Empire』, p118
*10 『Angels of Death: Inside the Bikers’ Global Crime Empire』, p105-112,120-122
*11 『The Fat Mexican: The Bloody Rise of the Bandidos Motorcycle Club』, p15-18
*12 『The Fat Mexican: The Bloody Rise of the Bandidos Motorcycle Club』, p22-23
*13 『Brothers in Arms:Bikie Wars』,p37
*14 『Brothers in Arms:Bikie Wars』,p53
*15 『Brothers in Arms:Bikie Wars』,p55
*16 『The Brotherhoods: Inside the Outlaw Motorcycle Clubs』(Arthur Veno,2012,Allen & Unwin),p66-67
*17 『The One Percenter Encyclopedia: The World of Outlaw Motorcycle Clubs from Abyss Ghosts to Zombies Elite (English Edition)』Kindle版「Fat Mexican Support Club」
*18 『The One Percenter Encyclopedia: The World of Outlaw Motorcycle Clubs from Abyss Ghosts to Zombies Elite (English Edition)』Kindle版「X-Team」
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