1989年以前のニュージーランドの違法酒場

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 ニュージーランドでは「アウトロー組織経営の酒場」(gang bars)が1989年まで流行りました(*1)。1989年までのニュージーランドでは法律によって、酒場の閉店時間が22時、日曜日は休業日と定められていました(*1)。

 1989年以前、アウトロー組織経営の酒場は、終日(24時間)営業をしていました (*1)。先述したように、閉店時間は22時の為、終日営業は違法行為でした。アウトロー組織経営の酒場は「違法酒場」だったのです。

 他国においても違法酒場はありました。アメリカ合衆国では1920~1933年「禁酒法」が施行されており、その間「スピーキージー」(Speakeasy)という違法酒場がありました(*2)。

 1920年代のオーストラリアでは「スライ・グロッグ店」(sly grog shops)と呼ばれた違法酒屋が住宅街で密かに営業していました(*3)。世界的な禁酒運動を背景に当時のオーストラリアでは、公共ホテル(当時の主要酒屋)の営業は、午後6時終了となっていました(*3)。つまり午後6時以降、人々は酒を購入できなかったのです。スライ・グロッグ店は通常午後6~12時までビールや蒸留酒を密売していました(*3)。

 南アフリカのケープフラッツ(ケープタウン南東部。カラード居住区)では、アパルトヘイトの時代、「シビーン」(shebeen)という名の違法酒場が流行りました(*4)。アパルトヘイト下の南アフリカ政府はカラードに対し節酒を求め、ケープフラッツにおいて酒場の出店制限をしていました(*4)。1970年代前半のケープフラッツでは、たった20軒の酒屋(ライセンス取得済みの店)が営業しているだけでした (*4)。ゆえに当時のケープフラッツでは「もぐり酒場」の需要が高かったことが考えられます。実際1980年までにケープフラッツでは約3,000のシビーンが違法営業していました(*4)。

 1989年以前のニュージーランドに話を戻します。

 アウトロー組織は、自身のクラブハウス内に酒場を設けられることもありました(*5)。当時一般人もアウトロー組織経営の酒場をしばしば利用していました(*1)。アウトロー組織において違法酒場事業は大きな収益源でした(*1)。アウトロー組織経営の酒場が、「22時以降の飲酒需要」を取り込めていたことが窺えます。

 1989年「酒類販売法」(Sale of Liquor Act)の改正により、酒場の営業時間の拡大が認められ、合法酒場においても深夜までの営業が可能となりました(*5)。合法酒場も「22時以降の飲酒需要」を取り込むようになったことから、アウトロー組織経営の酒場は優位性を失っていきました(*5)。

<引用・参考文献>

*1 『Patched: The History of Gangs in New Zealand』(Jarrod Gilbert,2013,Auckland University Press), p162

*2 『はじめてのアメリカ音楽史』(ジェームス・M・バーダマン・里中哲彦、2018年、ちくま新書),p154

*3 『ORGANIZED CRIME:A Global Perspective』「Organized Crime in Australia: An Urban History」(Alfred W. McCoy,1986, ROWMAN & LITTLEFIELD PUBLISHERS), p248

*4 『The Number』(Jonny Steinberg,2005, Jonathan Ball Publishers), p117

*5 『Patched: The History of Gangs in New Zealand』, p244-245

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