「割引金融債」という金融商品がありました(*1)。購入時は「額面価格から利息を割引いた価格」で買い、償還時に「額面価格」の現金を受け取れる債権でした(*1)。償還期間は1年でした(*2)。割引金融債の通称は「ワリシン」でした(*3)。
例えば「額面100万円利息5%」の割引金融債の場合、95万円で買い、1年後100万円を受け取りました。
日本興業銀行、日本長期信用銀行、日本債券信用銀行、商工中金、農林中金、東京銀行が割引金融債を発行していました(*2)。
物価上昇期に弱い金融商品でしたが、物価下落期に強い金融商品でした。割引金融債は無記名で購入できたことも特徴でした(*1)。マネーロンダリングに利用された金融商品でもありました。
金丸信(元衆議院議員、元自民党副総裁)は不正蓄財に割引金融債を利用していました(*3)。東京国税局査察部の日本債券信用銀行に対する調査により、1987年時点で金丸信側が10億円超の割引金融債を取得、加えて1993年1月の調査では金丸信側が28億円余分の割引金融債を取得していたことが明らかになりました(*3)。金丸信の金庫番秘書・生原正久が割引金融債を日本債券信用銀行から購入していました(*3)。その資金源はゼネコン等からのヤミ献金でした(*3)。1993年3月6日、東京地検特捜部は金丸信と生原正久を脱税容疑で逮捕しました(*3)。金丸信と生原正久は、闇献金を割引金融債に換えることで、自身の所得を過少に申告したという疑いがかけられたのです(*3)。両名は起訴され、金丸信は起訴事実を否認し、無実を主張しました(*3)。公判中の1996年3月28日金丸信は死去し、それにより公訴は棄却されました(*3)。翌日(1996年3月29日)、有罪判決が生原正久に言い渡され、有罪が確定しました(*3)。その判決(1996年3月29日)では、金丸信と生原正久の共謀が認められ、事実上金丸信の有罪も認定されました(*3)。
割引金融債は物体としては紙一枚であり、貸金庫に入りました(*2)。貸金庫は最も大きなサイズで高さ14cm、幅28cm、奥行き53cmであり、多額の現金を収めるには限界がありました(*2)。
<引用・参考文献>
*1 『株式市場の黒幕とヤクザマネー』(松本弘樹、2009年、宝島SUGOI文庫), p122
*2 『銀行の本店はなぜ仰々しいのか? 金融業界の謎』(鈴木雅光、2026年、幻冬舎新書),p254-256
*3 『自民党と裏金 捜査秘話』(村山治、2024年、日刊現代),p228-229,234-236,243
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