関東のヤクザ組織の中には「舎弟代行制度」を設ける組織があります(*1)。舎弟代行制度とは、組織トップの社会不在時(勾留、服役等)に、「トップの舎弟」がトップを「代行」する制度です(*1)。舎弟代行制度を設ける組織においては、「舎弟の地位」が高いことが窺えます。
関東のヤクザ組織は1次団体の組織形態として、概ね「連合型」をとってきました(*2)。連合型と対照的なのが「垂直型」の組織形態です。垂直型では、1次団体が2次団体を支配下に置くため、1次団体と2次団体の間には「上下関係」が存在します。垂直型の典型例が「直参制」です(*3)。直参とは「トップ直属の舎弟及び子分」を意味します(*3)。山口組は昔から直参制をとってきました(*3)。山口組では盃事により「1次団体トップ」が「2次団体トップら」を舎弟もしくは子分にしたのです(*3)。
しかし1990年代以降、関東の組織の多くが、「1次団体と2次団体の関係」を「垂直型の組織形態」(直参制)に改めていきました。
稲川会は1990年直参制を導入しました(*4)。厳密にいえば、稲川聖城初代会長体制時(1972年3月~1986年5月)の稲川会では、2次団体トップらは全員「稲川聖城の子分」でした(*5)。つまり稲川聖城初代会長体制時において稲川会は実質、直参制を取り入れていたのでした。しかし石井隆匡二代目会長体制(1986年5月~1990年10月)では「1次団体トップ(会長職の人物)」が「2次団体トップら」を舎弟もしくは子分にする盃事は行われませんでした(*5)。石井隆匡二代目会長体制では稲川会は連合型の組織形態をとったのでした。
住吉会も西口茂男会長時代(1990~1998年)に直参制を導入しました(*6)。1994年松葉会と極東会(テキヤ組織)が直参制を取り入れました(*4)。双愛会は遅れて2007年、直参制を導入しました(*7)。
上記の「舎弟代行制度を設ける組織」が1次団体だった場合、おそらく「直参制」を導入していると考えられます。山口組の直参制では、組織ナンバー2は若頭です。一方、「舎弟代行制度を設ける組織」の直参制では、組織ナンバー2は舎弟です。同じ直参制でも、組織によって内容が異なることが分かります。
<引用・参考文献>
*1 『塀の中の元極道 YouTuberが明かす ヤクザの裏知識』(懲役太郎、2020年、宝島社), p126
*2 『ヤクザに学ぶ 伸びる男 ダメなヤツ』(山平重樹、2008年、徳間文庫), p329-330
*3 『現代ヤクザ大事典』(実話時代編集部編、2007年、洋泉社), p37
*4 『ヤクザに学ぶ 伸びる男 ダメなヤツ』, p332-333
*5 『洋泉社MOOK・ヤクザ・指定24組織の全貌』(有限会社創雄社・実話時代編集部編、2002年、洋泉社), p36-40
*6 『実話時代』2017年3月号, p19
*7 『実話時代』2017年3月号, p23
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