1975~1978年山口組と松田組(博徒組織)の間で、抗争が行われました(通称:大阪戦争)(*1)。両団体とも「攻撃時の武器」として拳銃を用いました。抗争において射殺された人数は山口組4人、松田組7人でした。
【山口組側の死者】
■1975年7月26日の射殺事件(豊中市)(*2)
・死者数:3人(佐々木組下部団体・徳元組組員3人)(*3)
・射殺に使われた拳銃:オートマッチック式、S&W(スミス&ウェッソン社)38口径(*3)
■1975年9月3日の射殺事件(大阪市南区)(*1)
・死者数:1人(中西組組員)(*1)
・射殺に使われた拳銃:38口径(*4)
【松田組側の死者】
■1976年10月3日の射殺事件(大阪市中央区・浪速区) (*1)
・死者数:1人(村田組下部団体・大日本正義団トップ)(*1)
・射殺に使われた拳銃:38口径(*5)
■1978年8月17日の射殺事件(大阪市住吉区)(*1)
・死者数:1人(村田組組員)(*1)
・射殺に使われた拳銃:フィリピン製38口径(*6)
■1978年9月2日の射殺事件(和歌山市)(*7)
・死者数:2人(西口組組員2人)(*7)
・射殺に使われた拳銃:S&W38口径(*7)
■1978年9月24日の射殺事件(和歌山県)(*8)
・死者数:1人(福田組下部団体・杉田組トップ)(*8)
・射殺に使われた拳銃:不明(*8)
■1978年10月8日の射殺事件(尼崎市)(*9)
・死者数:1人(瀬田組下部団体・石井組組員)(*9)
・射殺に使われた拳銃:不明(*9)
■1978年10月24日の射殺事件(大阪市西成区)(*9) (*10)
・死者数:1人(村田組下部団体・大日本正義団組員)(*9)
・射殺に使われた拳銃:38口径(*9)
計8件の射殺事件のうち6件で、38口径の拳銃が用いられていました。当時のヤクザ組織の抗争において、射殺用拳銃として、38口径が主に選ばれていたことが考えられます。
<引用・参考文献>
*1 『戦後ヤクザ抗争史』(永田哲朗、2011年、文庫ぎんが堂), p198-206
*2 『山口組の100年 完全データBOOK』(2014年、メディアックス), p115
*3 『実話時代』2019年6月号, p107-115
*4 『武闘派 三代目山口組若頭』(溝口敦、2015年、講談社+α文庫), p227-228
*5 『大阪ヤクザ戦争 ~30年目の真実~』(木村勝美、2009年、メディアックス), p67
*6 『大阪ヤクザ戦争 ~30年目の真実~』, p144
*7 『武闘派 三代目山口組若頭』, p270-272
*8 『武闘派 三代目山口組若頭』, p275-276
*9 『大阪ヤクザ戦争 ~30年目の真実~』, p153
*10 『武闘派 三代目山口組若頭』, p301
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