「会津家一門」(会津家系統のテキヤ組織群、その系統の一人親方群)の宗家初代は「鈴木常三郎」という者が位置付けられていました(*1)。鈴木常三郎は福島県会津の生まれで、明治時代(1868~1912年)初期に浅草に移り、「会津家一家」を興しました(*2)。会津家一家は会津家一門の宗家(本家)組織でした(*2)。
1982年6月時点で「会津家連合会」という組織が活動していました(*2)。当時(1982年6月)で坂田春夫が会津家連合会の会長を務めていました(*2)。坂田春夫は、会津家一家(宗家組織)の六代目(会津家宗家六代目)でもありました(*2)。会津家連合会は、会津家一門の統括団体だったと考えられます。
1977年以前、会津家一門の勢力は東京の高田馬場駅周辺を庭場(縄張り)にしていました(*1)。また会津家一門の勢力は東北地方(*3)、北海道(*4)でも活動していました。
小高龍湖(会津家宗家四代目松葉武の舎弟)は1918年(大正七年)夏、札幌を訪れました(*4)。小高龍湖は当時、有田サーカスの全国巡業に関わっていました(*4)。サーカス興行の準備の為、小高龍湖はサーカス団より前に札幌を訪れていました(*4)。
昔のテキヤ組織の中には、サーカスなどの興行を手掛ける組織がありました(*5)。サーカスなど仮設興行はテキヤ業界において「高物(タカモノ)」と呼ばれていました(*5)。サーカス以外の高物としては、移動動物園、化物屋敷、女プロレスなどがありました(*5)。1918年時、会津家一門の小高龍湖は高物で商売をしていたことが分かります。
仮設興行界において一座の長(小屋主)は「太夫元(たゆうもと)」または「荷主(にぬし)」と呼ばれていました(*6)。一方、各地方の世話人は「分方(ぶかた)」と呼ばれていました(*6)。1979年頃、札幌市の北海道神宮祭における仮設興行では水野四郎が分方を務めていました(*7)。この「水野四郎」は、おそらく後に「木暮一家」五代目を継承した水野四郎(*8)だったと思われます。木暮一家は「稲川会」の2次団体で、札幌を拠点に活動していました(*8)。
木暮一家の初代は木暮初太郎で、祖は木暮留吉でした(*4) (*9)。初代・木暮初太郎は、木暮留吉の長男でした(*9)。逆にいえば木暮留吉は、木暮初太郎の実父でした。
木暮留吉は東京のテキヤ組織「橋場一家」の構成員でしたが、後に「虎の見世物」を持って札幌に移住しました(*4)。1892年(明治二十五年)頃、木暮留吉は札幌で木暮一家を結成しました(*4)。1908年(明治四十一年)木暮留吉は死去しました(*9)。
大正時代(1912~1926年)、木暮初太郎(木暮一家初代)は「北海道中の仮設興行元の親分」として有名でした(*9)。
木暮一家を興した木暮留吉ではなく、その長男の木暮初太郎が「木暮一家初代」に位置づけられている理由は、手元の資料からでは不明です。
1918年以降、小高龍湖は札幌を拠点に活動していきました(*4)。小高龍湖は、四代目(松葉武)体制時の会津家一家から「一家名乗り」をして、「会津家一家小高」(*10)を興しました(*2)。
1939年鴨原茂が会津家一家小高二代目を継承しました(*10)。しかし鴨原茂は病弱であった為、小高龍湖がその後も組織運営に関与しました(*10)。鴨原茂の会津家一家小高二代目就任時期は1959年という説もありました(*11)。
また会津家一門の勢力は、健康バンドの「ネタ元」をしていました(*12)。ネタ元とは、問屋のことでした(*13)。
<引用・参考文献>
*1 『親分 実録日本俠客伝①』(猪野健治、2000年、双葉文庫), p81-89
*2 『公安大要覧』(藤田五郎、1983年、笠倉出版社),p356-357
*3 『SANWA MOOK ウラ社会読本シリーズ⑤ 極東会大解剖 「強さ」を支えるのは流した血と汗の結晶だ!』(実話時代編集部編、2003年、三和出版), p84-85
*4 『実話時代』2016年10月号「北海游俠人 雁木のバラ―荏原哲夫小伝」(大谷浩二),p109-111
*5 『洋泉社MOOK・義理回状とヤクザの世界』(有限会社創雄社実話時代編集部編、2001年、洋泉社), p52
*6 『間道 – 見世物とテキヤの領域』(坂入尚文、2006年、新宿書房),p32
*7 『間道 – 見世物とテキヤの領域』,p12,38,52
*8 『実話時代』2014年8月号,p31
*9『やくざ逆破門状 実録・北海の抗争』(藤田五郎、1973年、徳間書店),p181-182
*10 『洋泉社MOOK・義理回状とヤクザの世界』, p90-92
*11 『任俠 実録日本俠客伝②』(猪野健治、2000年、双葉文庫), p39
*12 『生活史叢書3 てきや(香具師)の生活』(添田知道、1973年、雄山閣),p268-269
*13 『生活史叢書3 てきや(香具師)の生活』,p267
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