西日本のヤクザ組織– category –
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四代目山口組時代(1984~1989年)の上納金額
西日本のヤクザ組織1981年山口組三代目田岡一雄組長が死去しました(*1)。三代目体制下の1960年代後半、2次団体トップが総本部(1次団体)に払う会費(上納金)は月額約2万円でした(*2)。... -
2017年1月の神戸山口組-会津小鉄会分裂劇から振り返る
西日本のヤクザ組織2015年8月27日山口組から13団体(全て2次団体)が離脱し、神戸山口組を結成しました(*1)。離脱派には山口組主要2次団体の山健組と宅見組がいました(*2)。離脱話は噂レ... -
“七代目”山口組若頭候補を検証
西日本のヤクザ組織巷間、六代目山口組司忍組長の引退、新体制の発足が噂されています。司忍組長(1942年生まれ)は今月25日に80歳を迎える為、将来自身の高齢を踏まえ引退を決断するの... -
南道会
西日本のヤクザ組織太平洋戦争後(1945年以降)、大阪・ミナミでは愚連隊の「南道会」が活発的に活動していました (*1)。南道会は1945年8月藤村唯夫によって興され、当時構成員約100人を... -
熊本連合
西日本のヤクザ組織昔、トップを置かずに活動していた1次団体のヤクザ組織がありました。熊本県を拠点にした熊本連合です。1991~2005年まで、熊本連合は1次団体のヤクザ組織として活動... -
博徒組織・松田組
西日本のヤクザ組織太平洋戦争終了後の1945年秋、大阪西成で松田雪重により松田組が興されました(*1)。松田組の主な資金源は違法賭博でした(*1)。1964年警察庁によるヤクザ組織に対する... -
山広組の組員数
西日本のヤクザ組織1984~1989年において「山口組」と「山口組脱退グループ(一和会)」の間で、抗争(通称:山一抗争)が展開されました(*1)。1981年三代目山口組組長・田岡一雄が死去し... -
顧問職と盃
西日本のヤクザ組織山口組の五代目渡辺芳則組長(在任期間:1989~2005年)(*1)体制の発足時(1989年)、トップ渡辺芳則は、最高顧問(中西一男)と顧問(益田佳於、小西音松、伊豆健児...