ヤクザ社会の賃貸契約

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 関東のヤクザ業界では、昔から「貸しジマ・借りジマ」という独自の仕組みがあります。本来自分達の縄張りだが、他のヤクザ組織に貸している土地が「貸しジマ」です。反対に、本来自分達の縄張りではないが、他のヤクザ組織が所有する縄張りを借りている土地が「借りジマ」です。ヤクザ組織の支配権が及ぶ地域である縄張りは、別名「シマ」とも表現されています。「貸しジマ・借りジマ」は、「縄張りの賃貸契約」を意味しています。

*今回は記事を作成するにあたり、『実話時代』2014年5月号、『実話時代』2014年6月号、『六代目山口組ドキュメント2005~2007』(溝口敦著、講談社+α文庫)、『現代ヤクザ大事典』(実話時代編集部編、洋泉社)の情報を参照させて頂きました。

 一般人が物事を解決する際、暴力行為を用いたら、法律的にまた社会的に制裁が科せられます。暴力行為は「不当な手段」と認識されています。一方ヤクザ業界は、暴力行為を「正当な手段」として見なしています。シマ荒らしといった暴力的行為で、他のヤクザ組織の縄張りを奪い取る事は、ヤクザ業界では名目上禁止です。だが実質的には認められてきました。「力がなく、奪われた方が悪い」という考え方、裏返せば「暴力での決着はヤクザ業界の共通ルール」というヤクザ業界内独自の論理が背後にあるからです。実際、この弱肉強食の考えを最も実行してきたのが、日本最大のヤクザ組織・山口組です。実際、山口組が起こした他のヤクザ組織との抗争は数多く、有名です。抗争して大きくなった組織と言えます。一方関東のヤクザ業界では、山口組が起こした抗争と同様の大規模な抗争は近年まで起きませんでした。その要因は複数ありますが、その1つが「貸しジマ・借りジマ」です。関東ヤクザ組織間の「緊張緩和機能」を果たしていました。

 一般的な会社と同様にヤクザ組織の中でも、組員が増加傾向にあるヤクザ組織と、組員が減少傾向にあるヤクザ組織があります。組員が増加傾向にあるヤクザ組織の場合、組員が行う仕事(シノギ)も増加させる必要があります。しかし既存の縄張りにおける仕事は「先輩組員の既得権益」です。結果、新規の組員は他のヤクザ組織の縄張りを侵す動機が強く働きます。狙われるのは、縄張りを多く所有しているものの、組員の数が減って勢力が落ちているヤクザ組織です。とはいえ、縄張りを侵されたら、勢力が落ちているヤクザ組織でもヤクザの意地で抗争をします。この事態を防ぐ為に、組員が増加傾向にあるヤクザ組織は、組員が減少傾向にあるヤクザ組織から、縄張りを借りるのです。互いにメリットがあります。組員が増加傾向にあるヤクザ組織にとっては、縄張りを借りる形になり地代という出費は発生しますが、仕事(シノギ)を増やせます。新規の組員の食い扶持を確保してやれます。一方、組員が減少傾向にあるヤクザ組織にとっては、所有している縄張りに対して管理が行き届いていない状況を、他のヤクザ組織に貸すことで解決できます。「貸しジマ」の飲食店からはミカジメ料を直接取る事は不可能になりますが、貸したヤクザ組織からは地代を定期に払ってもらえます。また「貸しジマ・借りジマ」の仕組みは、「上下関係を曖昧にする」機能も備えています。縄張りを取った、奪われた方式であれば、抗争の結果、ヤクザ組織同士の上下関係は明確になります。一方、「貸しジマ・借りジマ」の場合、相互にメリットが発生する為、上下関係が明確になりません。面子を重んじるヤクザ組織にとって、導入しやすい仕組みなのです。

 しかし「貸しジマ・借りジマ」を原因とすることで、近年抗争に至る事態が起きています。当然、賃貸契約は一般社会でも頻繁に使用されています。その中で、オーナー(貸し主)の交代はよく起きます。もちろん新オーナー(貸し主)が「そのまま使って下さい」と賃貸契約の継続を認めてくれるのなら、今後の活動に変更はありません。けれども新オーナー(貸し主)が「出ていってくれ」と賃貸契約の解消を伝えてきたら、今後の活動に支障をきたします。

 関東には昔、二率会という1次団体のヤクザ組織がありました。1969年に発足した組織で、傘下の2次団体には小金井一家、八王子一家(1990年に二率会から脱退して巨大1次団体・稲川会の傘下に入る)、山梨県の親之助一家が位置していました。中核的な団体が、小金井一家でした。東京の中央線一帯や新宿、神奈川県の川崎市という広い範囲に縄張りを持っていたヤクザ組織です。しかし川崎市は稲川会の有力2次団体・山川一家の勢力が強い土地です。よって川崎市の縄張りに関して、小金井一家は稲川会側に縄張りを貸し出す「貸しジマ」を採っていました。「オーナー(貸し主)」は二率会の2次団体・小金井一家で、「借り主」は稲川会の2次団体・山川一家です。小金井一家からすれば、稲川会側の意向が強く働く川崎市で仕事(シノギ)はしづらいです。川崎市の縄張りを、地代だけ得られる「貸しジマ」にする選択は合理的です。

 2001年二率会は解散することになりました。2次団体である小金井一家は、東日本で稲川会と並ぶ巨大1次団体・住吉会の傘下に入ることが決まりました。しかし2001年3月に小金井一家と稲川会・山川一家の組員の間で抗争が起きます。背景には、稲川会側が「川崎市の借りジマ」の契約解消を恐れた事があります。小金井一家の新たな上部団体となる住吉会が稲川会に対抗して「川崎市の貸しジマ」の契約解消に動き出す可能性が浮上したからです。稲川会・山川一家にとって、ホームグラウンドの川崎市に住吉会の進出を許すことになります。

 抗争は短期間で収拾されました。事態を収める形として、二率会全体がまず解散します。一旦、住吉会が二率会傘下のヤクザ組織を全て引き受けました。その後住吉会から、小金井一家の神奈川のグループと山梨県の親之助一家が稲川会に移籍しました。一方、小金井一家の東京グループは住吉会に残りました。元二率会は稲川会と住吉会に二分されたのです。稲川会は「川崎の借りジマ」を返還せずに済み、逆に直接的な縄張りとすることができました。

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