田岡一雄組長の「正業を持て」の意味

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 ヤクザ社会の最大組織である山口組は現在、誕生時の組織と異なる様相を呈しています。現在の山口組は広域団体で、各地域の裏社会を治める2次団体によって構成されています。一見、連合体の形態に映りますが、各2次団体の上に1次団体を設けています。1次団体が各2次団体を支配する形にして、指揮命令系統を単純化させているのが特長です。各2次団体の単独行動を防ぐ役割を果たしています。1次団体名が「山口組」です。この1次団体「山口組」の組長こそが、広域団体山口組を束ねる、絶大なる権力の持主です。しかし1次団体「山口組」の組織としての実態はありません。つまり、1次団体「山口組」の現組長が引退すると、有力2次団体の組長の1人が、1次団体「山口組」組長に昇格する仕組みになっています。広域化する前の山口組はどんな組織だったのでしょうか。

*今回は記事を作成するにあたり、『現代ヤクザ大事典』(実話時代編集部編、洋泉社)、『実話時代』2014年5月号、『山口組概論―最強組織はなぜ成立したのか』(猪野健治著、ちくま新書)、『潜入ルポ ヤクザの修羅場』(鈴木智彦著、文春新書)を参考にさせて頂きました。

 山口組が初代組長・山口春吉によって兵庫県神戸で結成されたのは1915年です。その後、1925年、春吉の実子である山口登が二代目山口組組長に就任します。組織名が示すように、当初は「山口家」をオーナーとするヤクザ組織でした。山口登は1942年に死亡します。登の子どもが後を継ぐ年齢に至っていなかった為、1946年に山口家とは血縁がない田岡一雄が三代目組長に就任するまで、組長不在期間がありました。結成当初から山口組は、幕末以降重要な港として発展してきた神戸を拠点にしていた背景から、港湾荷役を主要な稼業としていました。港湾荷役とは、船の積荷を陸に揚げる、また船に荷物を積み込む仕事です。芸能興行も得意分野としていました。山口春吉の時代から芸能興行に進出し、芸能興行事業を巡り他団体から山口登が襲撃される事態も起きました。

 両方の事業内容を現在、ヤクザ組織は一切行えません。当時、港湾荷役の現場で、機械化が発達する前だったので、労働者として多くの男達が求められました。労働者が多くなると、その管理は容易ではありません。現場作業を円滑化させる為、労働者管理に暴力的要素を取り込むことを余儀なくされます。暴力こそヤクザ組織が有する最大の資産です。当時の港湾荷役事業とヤクザ組織の親和性は高かったのです。現在の特定のヤクザ組織を対象に厳しく取り締まる法律はなく、表社会の中でヤクザ組織が入り込める余地が十分にあった時代でした。一般的に、ヤクザ組織の出自は博徒組織かテキヤ組織です。つまり、江戸時代以降のいくつかの博徒組織やテキヤ組織が現在のヤクザ組織に変形していったのです。対して、山口組は博徒組織やテキヤ組織を母体とせず、実業を主要とする新興型のヤクザ組織と言えます。田岡一雄組長時代になっても、その路線が継承されます。

 田岡一雄組長時代の山口組に、岡精義という有力幹部がいました。岡精義はヤクザ組織の上部層の人間にも関わらず、自前の組や子分を持っていませんでした。しかし三友企業、神戸生コン運輸という2つの会社を持っていました。また他の会社の役員も同時に勤めており、有力企業家が岡精義のもう1つの顔でした。山口組という暴力的装置が後ろに控えていたことで、岡精義の実業が有利に働いていた側面はあります。実業で得られた表の世界の金が、山口組に流れていたのです。田岡一雄が組員達に発していた言葉として知られているのが「正業を持て」です。正業を持つ事を避ける目的で、ヤクザ組織に入った人間も多いのに、意外な印象を受ける言葉です。良心的に解釈すれば「ヤクザ組織の一員でいる時は任侠道に則った行動をして、生活費は正業で賄え」という意味になります。暴力的手段を用いた裏稼業を否定しています。しかし冷静に解釈すれば「正業を持つことで、視野を広げ、裏稼業の機会を増やせ」という意味が妥当です。

 実業の中でも、ヤクザ組織が有する暴力の需要はあります。例えば1980年代後半のバブル期における強引な地上げという裏稼業は、実業の世界がヤクザ組織の力を必要とした典型的な例です。実業の規模は大きく複雑で、ヤクザ組織周辺で生きているだけでは、実業の様子をつかめません。実業の中で裏稼業の活路を見出す為には、実業と接点を持つことが鍵となります。実業の世界の「土地勘」を養うべしという山口組の風潮は、自身の経済力を増大させました。一方、他のヤクザ組織の多くは、お金を作るのに、母体となる組織から続く稼業に頼っていました。博徒組織を母体とするヤクザ組織の場合は違法賭博を主要な稼ぎとしていました。しかし違法賭博への摘発が厳しくなると、収入減となる宿命があります。田岡一雄組長時代の山口組の特徴の1つとして、広域団体化が挙げられます。山口組は本拠地神戸を出て、暴力抗争を伴いながら、日本各地のヤクザ組織を傘下に収めていきます。圧倒的な武力を作り出したのが経済力です。山口組は母体が博徒組織ではなかった為に、実業の中で多様な裏稼業を見つけ出すことができ、それで築き上げた経済力で勢力を拡大させていったのです。

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