分裂騒動という衝撃が走った山口組で現在、主要2次団体として大きな影響力を及ぼしているのが弘道会です。1次団体・山口組組長の司忍、ナンバー2の役職である若頭の髙山清司、両名の出身母体です。警察庁の「平成26年の暴力団情勢」によれば、2014年時点で山口組は構成員1万300人、準構成員1万3100人、計2万3400人の組員を抱えていました。8月に最多組織人数を持っていた山健組をはじめ13の2次団体が離脱した為、山口組の組織人数は大幅に減っています。おそらく1万数千人になっているはずです。現在、山口組を構成する2次団体は55~60です。仮に山口組の組織人数を1万5千人、2次団体の数を60とします。組織人数を団体数で割ると250となります。しかし各2次団体が等しく250人の組員を抱えている訳ではありません。組織人数は各団体によって大きな差があります。弘道会の場合、組織人数は数千人と言われています。一方、山口組の九州地区の中核2次団体である伊豆組の組織人数は弘道会とかなり隔たりがあります。サイトR-ZONE(http://r-zone.me/)の「分裂後の六代目山口組で組織の要である役職「舎弟頭」に就任した「伊豆組」とはいかなる組織か」(取材・文:沖田臥龍)の記事によれば、伊豆組の構成員は100人です。準構成員数が含まれていませんが、2014年山口組の構成員と準構成員の比率が1対1.27でしたので、単純にその比率を伊豆組に当てはめてみると、準構成員は120名ほどいることになります。伊豆組の組織人数は数百人と推測できます。また伊豆組より組織規模が小さい2次団体においては、一層組織人数が少ないと推測できます。他の2次団体の組織人数と比較すると、弘道会の組織人数が突出していることが分かります。
*今回記事を作成するにあたり『選択』2015年6月号「≪土着権力の研究≫【第50回】佐賀県 唐津湾海区砂採取協同組合」、『週刊文春』10月1日号、『弘道会の野望 司六代目と髙山若頭の半生』(木村勝美、2015年、メディアックス)、『実話時代』各号、『完全保存版 TOWN MOOK 山口組 百年の血風録』(週刊アサヒ芸能・特別編集、2015年、徳間書店)の情報を参考にさせて頂きました。
弘道会が数千人の規模に拡大したのは、組織の広域化に成功したからです。上部団体の山口組は1957年別府抗争を端に発し、地元の神戸から全国各地に進出していきます。1950年代後半~1970年代、山口組は武力抗争を用い、地元ヤクザ組織を次々傘下に収めていきます。拡大する山口組の動きに魅かれて、自ら傘下入りを望む地元ヤクザ組織も増えていきました。山口組は広域化していったのです。弘道会も上部団体を倣い広域化していきました。全国各地に、弘道会の2次団体(山口組の3次団体)を作っていったのです。弘道会は1984年に発足します。弘道会の前身組織は山口組の2次団体・弘田組です。弘田組の弘田武志組長の引退に伴い、弘田組若頭であった司忍が弘道会を設立、初代会長に就任します。同年から始まった山一抗争、1990年山波抗争、1991年名古屋抗争、これらの抗争に参加し、弘道会は暴力性を世間に広めていきます。ヤクザ組織にとって暴力性は求心力となります。一般社会では暴力性は求心力になりえませんが、ヤクザ社会では「暴力手段により事態を解決する」という特殊なルールが認められています。ヤクザ社会において暴力性は重宝されます。弘道会は抗争による暴力性によって知名度を上げ、全国のヤクザ組織を傘下に収めていきます。加えて、上部団体・山口組の威光や弘道会の経済力も広域化を後押ししました。
弘道会の2次団体(山口組の3次団体)の主要団体として、髙山組があります。弘田組時代に髙山清司が発足させた組織で、髙山清司は1980年に弘田組若頭補佐に、1989年には弘道会若頭に就任します。弘道会の中でも、古くからある2次団体です。2005年には、弘道会の二代目会長に髙山清司は就任します。現在弘道会の三代目会長の竹内照明も髙山組出身です。山一抗争による活動の罪で刑を服した後、髙山組の若頭を務めた後、2005~2013年まで髙山組組長を務めていました。上部団体の前会長と現会長を輩出している髙山組の存在感は大きいです。ちなみに、初代会長である司忍の出身母体は司興業です。名前の通り、弘田組時代の1967年に司忍自らが立ち上げた組織です。司忍の出身団体として、長らく弘道会の中核2次団体として活動していました。しかし2015年に、内部昇格の形で、司興業は山口組の2次団体に引き上げられました。山口組の2次団体になったことで、司興業は弘道会傘下から外れました。司興業は東京の芸能界に大きなパイプを持っているとされています。現在の組長は森健司で、1989年から司興業の三代目組長を務めています。
1991年1月、弘道会は「中京五社会」という地元ヤクザ組織の親睦団体内の運命共同会と抗争に至ります。名古屋抗争です。中京五社会は1986年、瀬戸一家、平野家一家、稲葉地一家、導友会、運命共同会を構成メンバーとして結成されました。5団体ともに、古くから中京地域で活動する有力な独立ヤクザ組織でした。名古屋抗争は詳しく見れば、運命共同会を構成する主要団体であるテキヤ組織・鉄心会が弘道会と起こした抗争です。弘道会による鉄心会幹部の引き抜きに端を発しています。抗争において、鉄心会側は2名の死者を含めた複数人の人的損害を被りました。一方、鉄心会側の攻撃は弘道会傘下の組事務所への銃撃に留まりました。また中京五社会の他の団体が鉄心会に加勢する動きは、表面上見られませんでした。2月に入り、抗争は和解に至ります。しかし抗争は中京五社会の結束力の弱さを露呈させました。同年3月、瀬戸一家と運命共同会内の平井一家が、山口組の傘下に入ります。両団体は山口組の2次団体として活動していくことになりました。また同年以降、平野家一家、導友会、稲葉家一家、運命共同会の一部勢力が、弘道会の傘下に入りました。山口組の3次団体となります。平野家一家、導友会、稲葉家一家の3団体とも中京五社会の構成メンバーであり、伝統博徒組織を組織の源流としています。山口組の2次団体の資格を有していますが、弘道会の2次団体に留まっています。よって3団体の上納金は、1次団体・山口組に行かず、2次団体・弘道会に行っています。
北海道や九州にも弘道会の傘下団体はあります。北海道に拠点を置くのは福島連合です。九州には西部連合があります。佐賀県唐津市を拠点に立団体として活動してきた西部連合ですが、現在は弘道会の傘下に入っています。唐津市は玄界灘に面しています。玄界灘は豊富な漁場である一方、全国でも限られた海砂産地の顔も持っています。『選択』2015年6月号の記事によれば、唐津市付近の海砂利権を握っているのが地元の海砂組合です。この組合は西部連合と緊密な関係にあったとされています。海砂は海の埋め立てに用いられます。例えば、空港建設における埋め立てです。2005年に開港した中部国際空港の建設事業に深く食い込んだことで、弘道会の経済力は増したことは有名です。埋め立て利権も弘道会が握っていました。西部連合の例も含めて、弘道会が砂利業界に浸食していることが窺えます。
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