道仁会・小林哲治と浪川会・浪川正浩の存在感の高まり

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 現在、ヤクザ業界の外交活動で存在感を発揮する人物がいます。道仁会の小林哲治と浪川会の浪川正浩です。今年2月、稲川会の内部問題が1つ解決に至りました。2011年5月、稲川会の傘下団体・山梨一家が稲川会から脱退、山梨俠友會を立ち上げます。以後山梨俠友會は稲川会と激しく抗争を繰り広げます。しかし今年2月、山梨俠友會・佐野照明会長が山梨県警南甲府署に山梨俠友會の解散届を提出、両団体の抗争は終結しました。旧山梨俠友會勢力は稲川会に戻ることになり、稲川会の傘下団体・佐野組が新たに発足しました。2014年12月には、佐野照明の乗る車が激しく銃撃され、佐野照明は重傷を負いました。組織の規模も踏まえると、山梨俠友會は劣勢状態に陥っていました。とはいえ山梨俠友會自ら稲川会に謝罪すると、敗戦を自ら認めた行為に等しく、山梨俠友會にとってヤクザ組織の体裁が保てません。暴力を活動の源とするヤクザ組織にとって、敗戦の受け入れは、組織の存在意義を揺らがします。裏返せば、ヤクザ組織とは「敗戦しない」ことが、組織維持にとって必要不可欠なのです。一方、稲川会側も脱退した勢力を安易に戻すと、組織規律を緩ませてしまいます。

*今回記事を作成するにあたり『実話時代』各号、『六代目山口組ドキュメント2005~2007』(溝口敦、2013年、講談社+α文庫)、警察庁「平成27年の暴力団情勢」の情報を参考にさせて頂きました。

 ヤクザ業界において、抗争終結の役割つまり仲裁人を果たしてきたのが第三者の立場にあるヤクザ組織です。仲裁人の存在が加わることで、抗争終結に向けた動きは円滑化します。抗争終結に伴い、抗争当事者の両団体には不利益が発生します。稲川会であれば「脱退勢力の再加入」、山梨俠友會であれば「組織の解散」、両者にとって不本意な結果です。不本意な話を受け入れた上層部に対して責任追求の声が内部から上がる事態です。しかし「仲裁人による提案」という体裁をとれば、責任追求の動きを仲裁者の方向にも分散させることができます。仲裁人の主な任務としては、勝ち負けの色合いを薄めることがあります。明確な勝ち負けの色が出てしまう仲裁案を提示すると、負けの色がつく組織側が反発してしまい、仲裁が失敗してしまいます。今回稲川会と山梨俠友會の間に入ったのが、道仁会の小林哲治会長と住吉会幸平一家の加藤英幸総長です。2人は昨年暮れから抗争終結に向けて動いていまいした。今年2月17日、道仁会の小林哲治と佐野照明は、稲川会幹部と会談します。佐野照明が解散届を提出した後、2月24日道仁会の小林哲治と佐野照明は、稲川会トップ清田次郎会長を含めた最高幹部と会談、手打ちの儀式が行われた模様です。稲川会が復縁内容を知らせる為に、他団体に送付した「御通知」の回状においても、小林哲治の名前が記載されていました。小林哲治の果たした役割の大きさ窺えます。

 浪川会の浪川政浩も活発的に動いています。3月29日、神戸山口組の会合が東京の浪川会の事務所で行われました。他団体の事務所を借りて行った背景には、安全性の確保があります。以前は歌舞伎町の喫茶店などで神戸山口組の東京会合は行われていましたが、山口組側の組員が取り込囲むなど、妨害が入るようになりました。山口組と神戸山口組ともに「中立的」立場をとる浪川会の事務所であれば、山口組も手を出すことができません。浪川会の事務所を取り囲むことは、「浪川会への敵対行為」を示すことにもなりかねないからです。山口組としては余計な敵を増やしたくありません。浪川会のトップ・浪川政浩はヤクザ業界において抜群の知恵者であり、「神戸山口組の外部ブレーン」と目されています。

 道仁会と浪川会はともに九州の福岡県を本拠地とする1次団体のヤクザ組織です。浪川会に属する勢力は、元々道仁会に属していました。2006年5月、道仁会トップが引退を表明、それに伴い勃発した後継人事争いにより、道仁会は分裂しました。道仁会傘下団体の最大勢力・村上一家をはじめとした複数団体が道仁会を脱退、同年7月九州誠道会を立ち上げました。トップである会長職には、脱退派の中核組織・村上一家の村神長二郎総長が就任します。当然道仁会は、脱退派に絶縁処分を下します。九州誠道会の後継団体が浪川会です。警察庁「平成27年の暴力団情勢」によれば、現在道仁会は約550名、浪川会は約250名の構成員を抱えています。近年のヤクザ組織の傾向である「構成員数を上回る準構成員数の組織形態」を踏まえると、道仁会は1000名、浪川会は500名程度の組織人数と見るのが妥当です。道仁会は、福岡、佐賀、長崎、熊本の4県で活動しています。本部は福岡県久留米市にあります。一方、浪川会は道仁会同様、福岡、佐賀、長崎、熊本の4県での活動に加えて、東京都や山形県でも活動拠点を置いています。本部は福岡県大牟田市にあります。両団体を源流とする道仁会は初代会長・古賀磯次の時代から好戦的なヤクザ組織でした。1982年3月、久留米市で道仁会は向山一家と抗争、結果向山一家は解散します。1983~1984年、久留米市より南の大牟田市で道仁会は馬場一家と抗争します。道仁会有利の形で抗争は終結します。1980年代前半で、道仁会は久留米市と大牟田市の2都市で確固たる勢力を築き上げたのです。1986~1987年には、山口組傘下団体の稲葉一家(熊本市)と伊豆組(福岡市)と抗争を繰り広げます。道仁会は稲葉一家構成員を射殺するなど、戦闘力の高さを示しました。ヤクザ組織間同士の抗争においても、射殺という攻撃方法を実行できる組織は多くありません。小競り合いや敵対事務所や幹部宅への銃撃の範囲で抑えるヤクザ組織もありあます。

 2006年以降の分裂抗争においても、両団体は激しい戦いを見せていきます。2007年7月九州誠道会の幹部2名が殺害されます。報復として、同年8月道仁会トップの大中義久会長が射殺されます。余波で同年11月、病院でヤクザ組織とは関係のない入院患者が誤って射殺されるという悲劇まで起きました。トップを失くした道仁会は、当時服役中の理事長・小林哲治をトップに据えます。小林哲治は2010年に服役から戻ります。一方九州誠道会側は、初代会長・村神長二郎が引退、村上一家出身の浪川政浩が会長職を引き継ぎました。2012年10月改正された暴対法の施行、同年12月改正された暴対法に基づき、両団体は「特定抗争指定暴力団」に指定されます。指定された団体は、事務所の使用ができない、5人以上の組員の集合ができないなど、厳しい制限が科せられます。違反すれば、即時逮捕される規定も改正された暴対法には盛り込まれています。2013年6月11日、両団体幹部が福岡県警久留米署を訪れ、道仁会側が抗争終結の「宣誓書」、九州誠道会側が「解散届」を提出することで、両団体の抗争は終結します。両団体の力関係から、実質引き分けの形での終結となりました。九州誠道会の「解散」は、道仁会への「配慮」を示した形となっています。抗争の結果、「分裂」を許してしまった道仁会に顔が立つように、九州誠道会は解散という「負の役割」を受け入れたと推測できます。同年10月、旧九州誠道会勢力は新団体・浪川睦会を立ち上げます。途中、浪川会と組織名を変更し現在に至ります。今年2月山梨俠友會が解散した上で新たに設立した佐野組として稲川会に戻る話の原案は、道仁会と九州誠道会の抗争終結時の手打ちから来ているものと考えられます。

 道仁会の小林哲治と浪川会の浪川正浩の外交力は、2006年~2013年の自組織の抗争で培われたものです。抗争終結の収め方や抗争方法など、蓄積された経験や知識が他団体の幹部より豊富です。現在の山口組と神戸山口組の抗争においても、2人の需要は高く、何かと関与してくることが予想されます。

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