神戸山口組組長井上邦雄の兄弟分

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 昨年夏に起きた山口組分裂劇により誕生した神戸山口組は、分裂元の山口組から絶縁扱いをされたにも関わらず、ヤクザ社会内で「承認」された結果、存在感を保ち続けています。神戸山口組を「承認」した主な1次団体のヤクザ組織としては、酒梅組(大阪市)、会津小鉄会(京都市)、浪川会(福岡県大牟田市)があります。特に酒梅組は神戸山口組支持を明確にしています。酒梅組トップの吉村光男組長は、2013年組長就任時から山口組若頭髙山清司を後見人としていました(*1)。山口組分裂劇後、髙山清司との後見を返上し、結果山口組との同盟関係が解消されました(*2)。酒梅組、会津小鉄会、浪川会の3団体には、共通点があります。各団体のトップが、神戸山口組トップ井上邦雄組長と兄弟分の仲にあるということです(*3)。

 ヤクザ社会の承認において、トップが持つ兄弟分の仲が神戸山口組にとって大いに役立ったことになりました。井上邦雄と浪川会トップの浪川政浩会長は、2009年2月3日神戸の有馬温泉で兄弟盃を交わしました(*4)。酒梅組と会津小鉄会トップとの兄弟盃を交わした時期は確認できていませんが、恐らく井上邦雄が長期服役を終えた2000年以降に、交わされたと推測されます(*5)。2000年以降、井上邦雄は出世街道を駆け上がっていきます。出所後、山健組の中核組織・健竜会のトップに就任、2003年山健組若頭に就任、2005年山健組トップに就任します(*6)。分裂前の山口組において、執行部で大きな影響力を及ぼしていた弘道会を上回る勢力を有していた山健組トップともなれば、兄弟盃を交わす相手を欠きません。

 住吉会の2次団体・幸平一家も当初から神戸山口組の支持を暗に示しています。2015年9月5日、神戸山口組の初会合が神戸市の山健組本部で開かれた際、幸平一家トップの加藤英幸総長が訪れています(*7)。加藤英幸は、健竜会三代目会長山本一廣と兄弟分の仲と言われています(*8)。山本一廣は2000年、山健組から絶縁処分を受けます(*9)。その後を継いだのが、出所したばかりの井上邦雄です。しかし分裂後、山本一廣は山健組に舎弟頭補佐として復帰を認められました。背景として、幸平一家への配慮があったことが考えられます(*10)。

<引用・参考文献>

*1 『山口組の100年 完全データBOOK』(2014年、メディアックス), p413

*2 『実話時代』2016年9月号

*3 同上

*4 『山口組動乱!! 日本最大の暴力団ドキュメント 2008~2015』(溝口敦、2015年、講談社+α文庫), p171

*5 『実話時代』2015年3月号, p22

*6 同上

*7 『密着!ビジュアル決定版 山口組 分裂抗争の全軌跡』(別冊宝島編集部編、2016年、宝島社), p92

*8 『実話時代』2015年12月号, p41~42

*9 同上

*10 同上

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