弘道会における稲葉地一家の位置

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  弘道会の有力傘下組織の1つに、稲葉地一家があります。稲葉地一家は、幕末の名古屋で結成された博徒組織です(*1)。稲葉地一家の勢力範囲は名古屋にととまらず、三重県北部まで拡大した時代がありました(*2)。1986年、地元のヤクザ組織とともに稲葉地一家は親睦団体「中京五社会」を立ち上げます(*3)。しかし1991年、「中京五社会」の加盟団体と弘道会の抗争の結果、「中京五社会」は瓦解します(*4)。中京五社会の加盟団体の多くは、山口組及び弘道会入りしていきます(*4)。稲葉地一家も1997年弘道会入りしています(*4)。稲葉地一家の弘道会入りは1992年という話もあります(*5)。当時は、稲葉地一家の池田憲一総長(八代目)か 中村英昭総長(九代目)の時代です(*4) (*6)。ともかく稲葉地一家は、幕末から昭和の時代まで長らく独立団体として活動してきたのでした。

 現在弘道会内の組織図をみると、稲葉地一家トップの松山猛(十代目総長)は「弘道会若頭補佐」という役職に位置し、執行部を形成しています(*7)。弘道会の舎弟頭には、稲葉地一家前トップの中村英昭(九代目総長)が就いています(*7)。中村英昭は個人の立場で舎弟頭を務めています(*7)。弘道会の人事から、弘道会内で稲葉地一家の存在が大きいことが窺い知れます。また弘道会の傘下組織(3次団体)に、笹若一家という組織があります(*7)。笹若一家は元々、稲葉地一家の独立団体時代、「稲葉地一家の下部団体」でした(*1)。笹若一家は、稲葉地一家内でも有力組織として知られていました(*1)。笹若一家三代目鬼木賢緒は、稲葉地一家の七代目総長にも就任しています(*6)。

 しかし現在、笹若一家は稲葉地一家の傘下から外れて、稲葉地一家と同格の「弘道会の下部団体」に位置しています。その経緯が書かれた資料は、現在手元にありません。推測すると、以下のパターンが考えられます。①「1997年(もしくは1992年)の稲葉地一家の弘道会入りする前に、内紛により笹若一家が稲葉地一家から脱退して先に弘道会に入っていた」、②「1997年(もしくは1992年)の稲葉地一家の弘道会入りした後に、笹若一家が内部昇格する形で、3次団体に格上げされた」ということが考えられます。弘道会側にとって稲葉地一家の加入は喜ばしいことです。一方、強力な組織を傘下に収めておくのは、負担でもあります。稲葉地一家が、将来大きな内紛を引き起こす存在になりかねません。弘道会の執行部が、稲葉地一家の力を割くために、策を図った結果笹若一家が稲葉地一家を離れたと推測されます。

<引用・参考文献>

*1 『洋泉社MOOK・義理回状とヤクザの世界』(有限会社創雄社実話時代編集部編、2001年、洋泉社), p114-115

*2 『血と抗争 山口組三代目』(溝口敦、2015年、講談社+α文庫), p122

*3 『弘道会の野望 司六代目と髙山若頭の半生』(木村勝美、2015年、メディアックス), p146

*4 『弘道会の野望 司六代目と髙山若頭の半生』, p150-151

*5 『実話時代』2017年9月号, p28

*6 『実話時代』2017年1月号, p105

*7 『週刊実話』2017年5月11・18日号

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