コザにおける性風俗店の歴史

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 沖縄のヤクザ組織及び性風俗業界の歴史を語る上で、コザ市(現在の沖縄市)の存在は外せません。1950年米軍統治下の沖縄において、米軍兵士を対象とする歓楽街が越来村コザ地区に誕生しました(*1)。米空軍のメイヤー中佐が越来村の村長に、米軍兵士の歓楽街の創設を依頼したことがきっかけだったといわれています(*2)。越来村の近くには、嘉手納の米軍基地がありました(*1)。コザの歓楽街には、性風俗店をはじめ、飲食店、喫茶店、遊技場などが続々と生まれていきました(*1)。越来村は1956年には「コザ市」に名前を変え、市制移行を果たしました(*1)。

 米軍はコザの性風俗店に対して、風俗業施設許可基準に基づいて検査を実施、合格した性風俗店に対しては「Aマーク」を付与しました(*1)。米軍統治下では、「Aマーク」付与の性風俗店(Aサインバー)のみが、米軍兵士を対象とした商売が許可されたのでした(*1)。つまりAサインバーとは「米軍公認の性風俗店」だったのです。

 Aサインバーの店は繁盛しました(*1)。しかし店内での米軍兵士の粗暴な行為に対しては、店側は対応に困りました (*1)。警察は米軍兵士には及び腰だったのです(*1)。店側が「用心棒」として頼りにしたのが、戦果アギャーのグループでした(*1)。戦果アギャーとは、戦後の沖縄で、米軍基地から組織的に物資を強盗することで、利益を上げていたグループのことでした(*1)。1950年以降の戦果アギャーは、米軍物資の強盗ビジネスを以前より活発に行えなくなっていました(*1)。戦果アギャーも新しいビジネスチャンスを探っていたところでした(*1)。性風俗店の要請もあり、戦果アギャーはコザの歓楽街に進出していきました(*1)。戦果アギャーのコザの顔役として、知られたのが喜舎場朝信でした(*1)。

 コザ性風俗店は売春を提供していました(*1)。米軍兵士を主な客とする店のエリアとして、コザの「八重島特飲街」、コザ周辺の「照屋特飲街」が知られていました(*3)。一方1952年「吉原」というエリア(沖縄市)が特飲街として許可され、営業を始めました(*3)。吉原の特徴は、米軍兵士ではなく、地元沖縄の人を客対象としたことでした(*3)。

 1958年本土では売春防止法が施行されました(*3)。しかし米軍統治下の沖縄では売春防止法は施行されませんでした(*3)。沖縄で売春防止法が施行されたのは、日本に返還された1972年以降でした(*3)。吉原ではその後も違法の形で売春が提供されてきました(*3)。しかし2011年吉原は摘発された結果、吉原では売春がなくなりました(*3)。

<引用・参考文献>

*1 『洋泉社MOOK・沖縄ヤクザ50年戦争』(有限会社創雄社『実話時代』田中博昭編、2004年、洋泉社), p37-42

*2 『洋泉社MOOK・沖縄ヤクザ50年戦争』, p55-56

*3 『青線 売春の記憶を刻む旅』(八木澤高明、2015年、スコラマガジン), p271-275

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