大阪の名門テキヤ組織・今西組

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 大阪の名門テキヤ組織として知られたのが今西組です(*1)。初代組長・今西貞吉が明治時代に立ち上げました(*1)。今西組二代目組長を辻野巳之吉が継ぎ、三代目組長を辻野清八が継ぎました(*1)。三代目組長の辻野清八は、二代目組長の辻野巳之吉の実子です(*1)。辻野清八は、大阪のテキヤ組織団体「社団法人大阪神農商業協同組合」の立ち上げを率いて、後に同組合の名誉会長に就任します(*1)。大阪のテキヤ業界で、今西組が重要な位置を占めていたことが窺えます。1964年8月、今西組三代目組長の辻野清八が死去します(*1)。

 三代目組長の辻野清八存命中に、辻野清八の実弟・辻野嘉兵衛が四代目組長を継いでいました(*1)。今西組の二~四代目組長を辻野一族が占めていたことになります。四代目組長の辻野嘉兵衛死去後、1990年10月に五代目組長を継いだのが辻野八郎です(*2)。五代目組長の辻野八郎が、二~四代目組長の辻野一族と同じだったかは、手元にある資料では確認できません。今西組五代目組長の継承式は、1990年10月8日、大阪市中央区の酒梅組特設神殿で実施されました(*2)。

 酒梅組は「金筋博徒」として知られる大阪の老舗博徒組織です(*3)。テキヤ組織の今西組は、他団体であることに加えて、稼業違いの博徒組織の施設で継承式を行ったのです。継承式取持人は酒梅組若頭の中下元治、推薦人は酒梅組相談役の隈村都美男と同じく相談役の清水岩雄、媒酌人は酒梅組舎弟の河崎巌でした(*3)。継承式の内容から、酒梅組の今西組に対する影響力の強さが窺われます。

 当時の酒梅組は、五代目谷口正雄組長体制(1979~1995年)でした(*3)。谷口正雄組長体制時に酒梅組は組織を拡大しました(*3)。1983年当時、酒梅組の勢力は傘下32団体、874人の組員でした(*4)。1993年暴対法の指定時、酒梅組の勢力は傘下32団体、約450人の組員でした(*3)。2017年現在、警察庁「平成28年の暴力団情勢」によれば、酒梅組の勢力は約30人の組員です(*5)。現在に至るまで、酒梅組の勢力は減少の一途を辿っています。しかし今西組五代目組長継承式時の1990年には、酒梅組が一定の勢力を持っていたことが分かります。その後、今西組は酒梅組傘下に入りました(*2)。

<引用・参考文献>

*1 『洋泉社MOOK・義理回状とヤクザの世界』(有限会社創雄社実話時代編集部編、2001年、洋泉社), p64-65

*2 『実話時代』2016年1月号, p51-52

*3 『洋泉社MOOK・ヤクザ・指定24組織の全貌』(有限会社創雄社・実話時代編集部編、2002年、洋泉社), p128-132

*4 『闘いいまだ終わらず 現代浪華遊俠伝・川口和秀』(山平重樹、2016年、幻冬舎アウトロー文庫), p191

*5 警察庁「平成28年の暴力団情勢」, p34

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