過去にヤクザ組織と日本政府が緊密な関係を築いた時期があります。日本軍の中国大陸進攻が始まった1932年から終戦の1945年までの時期です(*1)。中国大陸において日本軍は、軍施設建設や軍物資輸送の業務を日本の博徒組織に依頼しました(*1)。例えば、長崎の宮久一家は上海飛行場建設、関東の小金井一家は台湾での軍務労働者の調達の業務を任せられていました(*1)。ちなみに宮久一家トップの宮崎久次郎は、戦後長崎県政界に進出しています(*2)。
また中国大陸において日本軍は、売春所経営、将兵用慰安施設経営、慰安婦(売春婦)の調達、酒場や簡易宿泊所の経営などの業務も日本の博徒組織に委託しました(*1)。中国大陸における日本軍とその関係者を対象とする娯楽サービス(性的サービスを含む)の提供も、日本軍は日本の博徒組織に求めたのでした。日本軍が売春サービスの提供を博徒組織に依頼したことから、当時日本本土で売春ビジネスを牛耳っていたのが博徒組織であったことが推測されます。
中国大陸で業務を担った博徒組織は、業務の遂行の他に、現地での賭博開帳、軍務労働者の賃金のピンハネ、資材調達の差益金などで、別途収入源を確保することも行っていました(*1)。
<引用・参考文献>
*1 『やくざと日本人』(猪野健治、1999年、ちくま文庫), p205,209-210
*2 『戦後ヤクザ抗争史』(永田哲朗、2011年、文庫ぎんが堂), p25-28
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