飯島会

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 テキヤ組織・飯島会は1897年前後、飯島源次郎によって興されました(*1)。当時は「飯島一家」という組織名でした(*1)。三階松一家という組織から独立する形での組織誕生でした(*1)。太平洋戦争後、新宿の闇市で活発的に活動した関東尾津組は、飯島一家内の組織から出発しました(*2)。現在の拠点は東京ですが、東北や北海道にまで系列組織が活動していました(*3)。北海道胆振地方では1989年まで飯島安達一門が大きな影響力を持っていました(*3)。

 2004年北海道帯広市で山口組山健組傘下組員が飯島会系組員に刺殺されたことから、両団体は抗争に至りました(*4)。山健組を出身母体として当時山口組トップだった渡辺芳則(1941年生まれ)は若かりし頃、故郷の栃木を出て、浅草で飯島会系の組織の手伝いをしていたことがあります(*5)。渡辺芳則はその後20歳頃、神戸に移り山健組に入りました(*5)。

<引用・参考文献>

*1 『やくざと日本人』(猪野健治、2011年、ちくま文庫), p236-238

*2 『歌舞伎町・ヤバさの真相』(溝口敦、2012年、文春新書), p50

*3 『洋泉社MOOK・勃発!関東ヤクザ戦争』(有限会社創雄社『実話時代』田中博昭編、2002年、洋泉社), p146-149

*4『山口組の100年 完全データBOOK』(2014年、メディアックス), p453

*5 『現代ヤクザのウラ知識』(溝口敦、1999年、宝島社文庫), p238-239

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