アウトロー組織の首領を務めた後、映画俳優として活動したのが安藤昇(1926~2015年)でした(*1)。安藤昇は後に俳優活動を止めるものの、作家や映画プロデューサーとして表社会に関与していきました(*1)。
安藤昇は1952年「東興業」という株式会社を設立しました(*2) (*3)。東興業の拠点は東京の渋谷でした(*2)。その東興業は実質、安藤昇を首領とするアウトロー組織でした(*3)。東興業の通称が「安藤組」でした(*3)。
東興業の構成員は約500人いたようです(*3)。東興業は表向き、不動産売買と興行を事業としていました(*3)。一方、違法賭博ビジネスも裏で行っていました(*3)。東興業は毎月「四九の日」に都内で賭場を開帳し、一晩の収入(テラ銭)は約200万円(当時の金額)だったようです(*4)。「四九の日」とは4日、9日、14日、19日、24日、29日のことを指しました(*5)。月に約6回、賭場を開いていたことが分かります。「4」「9」という数字は嫌われていた為、「四九の日」に賭場を開催する組織は珍しかったようです(*5)。逆にいえば、「四九の日」は他組織の賭場開催日と被らなかったのです。東興業は他組織との違いを作る為に、「四九の日」にあえて開催日を設定していたのかもしれません。また東興業は時に、取締りを避ける為、伊豆や箱根の温泉場で賭場を開帳していました(*4)。
違法賭博ビジネスにおいて、東興業が重要視したのは客層でした(*3)。社会的地位があり、お金を沢山持っている人達を主な客層として選定していました(*3)。背景には賭博の負けに恨みを持って、警察に通報するような客を避ける狙いがありました(*3)。東興業は競馬場のゴンドラ席にいる人達に狙いを定めて、営業をしていました(*3)。
1964年頃以降、警察組織は違法賭博に関与した者を非現行でも検挙できるようになりました(*6)。現行犯でなくても、検挙が可能になったのです。2人以上が過去に遡って、例えば「半年前に●●の場所で違法賭博に参加していました」と警察に証言すれば、該当の組織は取り締まられることになったのです(*6)。
東興業は警察の目から逃れる為、客の乗る車を何か所も経由させ、またその都度、車を乗り換えさせていました(*3)。また東興業は新宿で9階建てマンションの最上階の2部屋で賭場を開帳していました(*3)。最上階であれば、近くの交番の様子を見ることができました(*3)。また最上階であれば、警察の隊員達が階段で駆け上がるまで時間を要するからです(*3)。その間、逃げる時間が作れました。
アウトロー組織としての東興業(安藤組)は「愚連隊」に位置づけられました(*7)。愚連隊は組織内で「親分-子分」関係が結ばれず、「兄弟分」関係(この場合は「兄舎弟」関係のこと)があるのみでした(*7)。愚連隊では首領が「兄貴」、首領以外は「舎弟」となっていました(*7)。実際、アウトロー組織としての東興業(安藤組)では、首領・安藤昇が「兄貴」として組織を率いていました(*8)。アウトロー組織としての東興業(安藤組)では親子盃が交わされることはなかったのです。一方、博徒組織とテキヤ組織では「親分-子分」関係が結ばれました(*7)。ヤクザとは、主に博徒とテキヤ(露店商)を指しました(*9)。つまりヤクザ組織とは、主に博徒組織とテキヤ組織を指したのでした。愚連隊は厳密には、ヤクザ組織とはいえなかったのです
以上を踏まえると、愚連隊は「兄-舎弟」関係の集団」、ヤクザ組織(博徒組織、テキヤ組織)は「親分-子分」関係の集団でした。愚連隊とヤクザ組織はともに「擬制的親族集団」といえましたが、愚連隊よりヤクザ組織の方が擬制的親族集団の「色合い」は濃かったことが分かります。
<引用・参考文献>
*1 『安藤昇 90歳の遺言』(向谷匡史、2017年、徳間文庫), p10
*2 『安藤昇 90歳の遺言』, p78
*3 『安藤昇 90歳の遺言』, p90-93
*4 『安藤昇 90歳の遺言』, p67
*5 『ヤクザ大辞典 親分への道』(山平重樹監修、週刊大衆編集部編・著、2002年、双葉文庫), p89-90
*6 『ヤクザ大辞典』(山平重樹監修、週刊大衆編集部編、2002年、双葉文庫), p108-109
*7 『洋泉社MOOK・「愚連隊伝説」彼らは恐竜のように消えた』「「戦後復興」と共に歩み 「高度経済成長」によって消えた愚連隊 狂気と無垢を孕む奈落の男たちが、漆黒の時代を駆ける」(猪野健治、1999年、洋泉社),p14-16
*8 『洋泉社MOOK・「愚連隊伝説」彼らは恐竜のように消えた』「ガツンと一発! 安藤組別働隊が行く 森田雅のポカポカ愚連隊日和」(森田雅、1999年、洋泉社),p77,79
*9 『現代ヤクザ大事典』(実話時代編集部編、2007年、洋泉社),p56
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