博徒組織にとっての夏

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 博徒組織が文字通り賭博業を主な資金源としていた時代(1964年以前)(*1)、博徒組織にとって夏は閑散期でした(*2)。違法賭博という性格上、胴元(博徒組織)は人目がつかない所で賭場を開帳する必要がありました。賭場は主に「窓を開けない密室」に設置されました (*2)。気温が暑くなると、博徒組織は賭場に氷柱を置き扇風機を回すことで、賭場の気温を下げる工夫をしていました(*3)。また賭博進行係である「中盆」(出方、強力)(*4)の服装はダボシャツとステテコでした(*3)。中盆が薄着だったのは、当時の賭場が暑かったことが背景にあります(*3)。

 冷房機器が発達していない時代、夏の賭場開帳は困難でした。博徒組織は賭博営業できない為、夏の時期は博徒組織の活動休止期間となりました(*2)。活動休止の為、組織の資金は不足しました。夏における博徒組織の資金不足は「夏枯れ」とも呼ばれました(*2)。博徒業界では、金銭的負担になる寄り合いや祝儀事は夏には避けられていました(*2)。

 関東博徒系ヤクザ組織の親睦団体・関東二十日会(1972~2014年)(*5)は、毎月20日に本会議を開いていました(*2)。しかし7月と8月だけ、本会議は開かれませんでした(*2)。博徒組織にとって、夏が活動休止期間だったことも関係していると考えられています(*2)。

<引用・参考文献>

*1 『ヤクザ大辞典』(山平重樹監修、週刊大衆編集部編、2002年、双葉文庫), p108-109

*2 『洋泉社MOOK・勃発!関東ヤクザ戦争』(有限会社創雄社『実話時代』田中博昭編、2002年、洋泉社), p31-32

*3 『SANWA MOOK ウラ社会読本シリーズ⑦ 現代ヤクザマルチ大解剖』(有限会社創雄社・実話時代編集部編、2004年、メディアボーイ), p136

*4 『ヤクザ大辞典』(山平重樹監修、週刊大衆編集部編・著、2002年、双葉文庫), p115

*5 『実話時代』2017年9月号, p22-24

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