砂子川組

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 かつて大阪に砂子川組という1次団体がありました(*1)。砂子川組は明治中期、西村伊三郎によって結成されたヤクザ組織でした(*1)。日露戦争(1904~1905年)に砂子川組は従軍しました(*1)。砂子川組は弾薬搬送業務をしていました(*2)。

 西村伊三郎死去後、砂子川組ではトップ不在が25年間続きました(*3)。この間、トップ不在のまま砂子川組という組織自体は活動していたのか、それとも砂子川組は休止状態(実質消滅状態)に陥っていたかは不明です。しかしその後、山崎庄助が二代目トップに就任しました(*3)。その10年後二代目の山崎庄助が引退すると、外部の山岡組トップの岡田卯一郎が三代目砂子川組を継承しました(*3)。

 1996年時点、砂子川組は守口市滝井に本部事務所を置いていました(*1)。大阪の五大新地(ちょいの間)の1つ滝井新地がある場所です(*4)。

  1983年在阪組織の酒梅組と東組の抗争では、砂子川組は会津小鉄会とともに和解に向けて動きました(*5)。抗争の「調停者」としての役割を演じられるのは、業界内で確かに認められた組織です。

 1987年6月山口組3次団体・中野会の副会長が大阪枚方市のレストランで射殺されました(*6)。中野会側は砂子川組による仕業と決め、枚方市や守口市の砂子川系組事務所を攻撃しました(*6)。結果、砂子川側に死傷者を出させました(*6)。実際中野会副会長を射殺したのは、山口組と当時抗争関係にあった一和会側の者であることが、後で判明しました(*6)。「疑われた」という結果から、当時砂子川組が枚方市に勢力を持っていたことが窺えます。

<引用・参考文献>

*1 『実話時代』2016年8月号, p113

*2 『ヤクザ大辞典』(山平重樹監修、週刊大衆編集部編・著、2002年、双葉文庫), p44

*3 『SANWA MOOK ウラ社会読本シリーズ⑧ 現代ヤクザマルチ大解剖 ②』(有限会社創雄社・実話時代編集部編、2005年、三和出版),p119

*4 『週刊実話』2016年11月24日号「スキンレス春川が往く! 風俗裏街道」, p132-133

*5 『洋泉社MOOK・ヤクザ・流血の抗争史』(有限会社創雄社・実話時代編集部編、2001年、洋泉社), p144-146

*6 『四代目山口組 最期の戦い』(溝口敦、2015年、講談社+α文庫), p344-345

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