「常滑一家」は博徒組織の連合体で、愛知県半田市を中心に活動していました(*1)。常滑一家の初代は、中野兵太郎でした(*2)。中野兵太郎は1872年(明治五年)10月10日、死去しました(*2)。中野伊吉が二代目を継承しました(*2)。中野伊吉は1920年(大正九年)3月18日、死去しました(*2)。松本石太郎が三代目を継承しました(*2)。戸羽山瀚の調べによると、大興寺薬師(尾州)の高市では常滑一家(資料では「常滑兵太郎一家」)の勢力が賭場を開帳していました(*3)。
常滑一家には「直系派」「伊藤派」「萩原派」「木村派」がありました(*2)。4つの派は全て、常滑一家を出身母体としていました(*2)。
常滑一家が「博徒組織の連合体」と記されていたことから、直系派以外の3派は「常滑一家の分家」のような形で、自律性を持って活動していたと考えられます。
警察当局の取締りにより、常滑一家は1965年解散しました(*1)。常滑一家解散の前年(1964年)、警察庁はヤクザ組織に対する取締り強化を全国規模で開始しました(通称:頂上作戦)(*4)。この取締り強化の一環で、常滑一家も解散したと推測されます。
<引用・参考文献>
*1 『任俠 実録日本俠客伝②』(猪野健治、2000年、双葉文庫), p71
*2 『公安大要覧』(藤田五郎、1983年、笠倉出版社),p473-474
*3 『生活史叢書4 やくざの生活』(田村栄太郎、1994年、雄山閣),p164-165
*4 『現代ヤクザ大事典』(実話時代編集部編、2007年、洋泉社), p168
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