博徒組織と興行

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 博徒組織と興行は歴史的に深く関わってきました。博徒組織は江戸時代の宿場町で組織的発展をしました(*1)。昔から博徒組織は見世物小屋や相撲興行から「ミカジメ料」を徴収しました(*1)。博徒組織は賭博という来客商売を営む性格上、土着的になり、自身の縄張り内で開催される興行にも関与していったと考えられます。興行側はミカジメ料を払えば、博徒組織を後ろ盾とすることができ、多方面の揉め事を回避することができました。

 また博徒組織は興行チケットをさばくことに長けていました(*1)。賭場客には高所得者が多かったと考えられます。高所得者は興行チケットを買う金銭的余裕がありました。博徒組織は元々「興行チケット購買可能な層」を客として抱えていたのです。興行側にとって博徒組織は「有力なチケット販売チャンネル」として機能していたと考えられます。営業面においても博徒組織は一定の役割を果たしていました。

 ヤクザ組織が興行部隊を作ることもありました。典型例が神戸芸能社でした。1957年山口組は神戸芸能社を設立しました(*2)。神戸芸能社の前身は「山口組興行部」でした(*2)。設立時の神戸芸能社社長は、山口組組長の田岡一雄でした(*2)。1964年警察庁はヤクザ組織に対し厳しい取締り(通称:頂上作戦)を開始しました(*3)。取締りにより、ヤクザ組織の関与する興行会社は、公共施設の使用ができなくなりました(*4)。ヤクザ組織の関与する興行会社は営業困難に陥りました。結果、1966年神戸芸能社は事実上潰れました(*5)。

<引用・参考文献>

*1 『裏社会 噂の真相』(中野ジロー、2012年、彩図社), p104

*2 『興行界の顔役』(猪野健治、2004年、ちくま文庫),p77

*3 『現代ヤクザ大事典』(実話時代編集部編、2007年、洋泉社), p168

*4 『実話時代』2015年10月号, p114

*5 『血と抗争 山口組三代目』(溝口敦、2015年、講談社+α文庫), p255

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