賭場の共同運営

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 博徒組織にとって元々、縄張りとは「賭場開帳の権利を行使できる地理的範囲」のことでした(*1)。例えば生井一家は戦前(1945年以前)、東京日本橋の人形町を中心に広大な縄張りを持っていました(*2)。生井一家は、人形町付近一帯で、賭場開帳の権利を有していたということです。

 しかし生井一家縄張りの一部は、同じ博徒組織の上州屋一家や斉藤一家の縄張りと被っていました(*2)。被ったエリアでは、賭場の共同運営が行われていたようです(*2)。被ったエリアの賭場開帳権の帰趨を暴力的手段で解決するのではなく、平和的に解決した事例といえます。

<引用・参考文献>

*1 『現代ヤクザ大事典』(実話時代編集部編、2007年、洋泉社), p61

*2 『洋泉社MOOK・義理回状とヤクザの世界』(有限会社創雄社実話時代編集部編、2001年、洋泉社), p72-73

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