明治時代以降(*1)、港湾荷役に従事した労働者は「仲仕(ナカシ)」と呼ばれました(*2)。当時の港湾荷役において、艀(はしけ)と呼ばれる自走できない特殊な港運船が重要な役割を果たしていました (*3)。昔の港は水深がなく、大きな貨物船は港に直接接岸できませんでした(*3)。「沖にある貨物船」と「港」の間をつないだのが艀でした(*3)。仲仕の仕事は、主に2つありました(*2)。「港から艀に」荷を積む仕事と、「艀から貨物船に」荷を積む仕事の2つです(*2)。前者は「沿岸仲仕」、後者は「沖仲仕」呼ばれました(*2)。荷が「港」から「貨物船」に移動する際、仲仕においては「沿岸仲仕→沖仲仕」という過程がありました。住吉一家三代目総長・阿部重作(在任期間:1948~1962年)は、若い時に横浜で、沖仲仕をしていました(*4)。現場で仲仕をまとめたのが「棒心」という役の者でした(*2)。山口組初代組長・山口春吉は、神戸港の仲仕として働いた後、1915年山口組を結成しました(*1)。結成時の山口組は、仲仕の派遣業を主な稼業としていました(*1)。結成時の山口組は「仲仕と関係の深い組織」であったことが分かります。
<引用・参考文献>
*1 『洋泉社MOOK 「山口組血風録」写真で見る山口組・戦闘史』(有限会社創雄社・実話時代編集部編、1999年、洋泉社), p8-9
*2 『FOR BEGINNERS シリーズ ヤクザ』(朝倉喬司、1990年、現代書館), p107-108
*3 横浜市サイト「コンテナ専用はしけ輸送の詳細」
*4 『ヤクザ伝 裏社会の男たち』(山平重樹、2000年、幻冬舎アウトロー文庫), p95-99
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