弘道会の役職変更

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 山口組ナンバー2の若頭・髙山清司が2019年10月18日、府中刑務所から出所しました(*1)。髙山清司は2010年に恐喝容疑で逮捕、起訴されました(*2)。2013年3月京都地裁は髙山清司に対し、懲役6年の判決を出しました(*3)。髙山清司は控訴するものの、2013年12月大阪高裁により控訴が棄却されました(*3)。髙山清司は上告せず、2014年6月から服役しました(*2)。髙山清司の服役期間は約5年4カ月でした。

 出所後、髙山清司の出身母体・弘道会で役職の変更がありました。弘道会は髙山清司以外にも、山口組トップの組長・司忍、山口組執行部の若頭補佐・竹内照明(弘道会会長)、山口組若中(2次団体組長)の森健司(司興行組長)、山口組若中の髙山誠賢(淡海一家総長)を山口組に輩出しています。弘道会は、山口組の主要2次団体です。

 今回、弘道会ナンバー2の若頭に野内正博(野内組組長)が新たに就任しました(*4)。また前若頭の中野寿城(山本組組長)は舎弟頭補佐に就きました(*4)。2013年竹内照明が弘道会三代目会長に就任して以降(*5)、中野寿城が弘道会若頭を務めていました(*6)。中野寿城は約6年間、弘道会の若頭を務めたことになります。中野寿城、野内正博の両名は、髙山清司が結成した髙山組(弘道会2次団体)の出身です(*4) (*6)。

 野内正博は1966年1月生まれ(*7)の53歳、熊本県の出身です(*4)。1981年頃、野内正博は岐阜県の独立団体・則竹組に入りました(*4)。野内正博は15歳頃から、ヤクザ組織の構成員としてのキャリアを始めたことになります。1990年野内正博は弘道会2次団体・髙山組に入りました(*4)。数年後に、野内正博は髙山組内に野内組を結成しました(*4)。

 2005年野内組は弘道会2次団体に昇格しました(*4)。2005年は髙山組トップ・髙山清司にとっても「昇格」の年でした。2005年3月髙山清司は弘道会二代目会長に就任(*2)、8月には山口組若頭にも就きました(*2) (*8)。髙山清司と野内正博が抜けた髙山組では、竹内照明が2005年髙山組二代目組長に就任しました(*9) 。中野寿城は髙山組二代目体制(竹内照明組長)で若頭を務めました(*6)。中野寿城は髙山組でも弘道会でも、竹内照明の若頭を務めたことになります。

 2007年、野内正博は弘道会・若頭補佐に就任し、執行部入りを果たしました(*4)。2009年11月時点の弘道会組織図では、野内正博は「弘道会若頭補佐」、中野寿城は「弘道会若中」となっていました(*7)。2009年時点では、野内正博の方が中野寿城より役職上、上の立場であったことが分かります。しかし2013年竹内照明が弘道会三代目会長に就任して以降は、中野寿城が「弘道会若頭」、野内正博が「弘道会若頭補佐」となり、立場が逆転しました。2017年野内正博は弘道会舎弟に直るとともに、統括委員長に就任しました(*4)。

<引用・参考文献>

*1 『週刊実話』2019年11月7日号, p34

*2 『別冊 実話時代 龍虎搏つ!広域組織限界解析Special Edition』(2017年6月号増刊), p29

*3 『山口組の100年 完全データBOOK』(2014年、メディアックス), p399-402

*4 『週刊実話』2019年11月28日号, p32-34

*5 『別冊 実話時代 龍虎搏つ!広域組織限界解析Special Edition』, p68

*6 『週刊実話』2016年6月16日号, p34

*7 『BAMBOO MOOK 二代目弘道会総覧』(ジェイズ・恵文社編、2010年、竹書房)

*8 『別冊 実話時代 龍虎搏つ!広域組織限界解析Special Edition』, p25

*9 『別冊 実話時代 龍虎搏つ!広域組織限界解析Special Edition』, p33

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