11月27日の古川組元総裁射殺事件

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 2019年11月27日午後17時頃、兵庫県尼崎市で神戸山口組2次団体・古川組元総裁の古川恵一が元山口組組員に自動小銃で射殺されました(*1)。実行犯の元組員は事件後、逃走中に京都府の京都南インター付近で現行犯逮捕されました(*1)。

 2017年4月神戸山口組の分裂時、古川組一部勢力が脱退側の任俠団体山口組(現在の任侠山口組)に参加した結果、古川組も分裂しました(*2)。古川恵一は2018年3月、2019年7月の2回、山口組組員から襲撃されていました(*1)。襲撃後、古川恵一は警備組員をつけなかった様子から(*1)、古川組の組員数は減少していたことが窺えます。また古川恵一は事件前、引退の訴えを神戸山口組にしていたという話があります(*1)。実際古川恵一は古川組「組長」から「総裁」になったものの、後に古川組総裁も退任していました(*3)。ゆえに射殺前の古川恵一の肩書は「神戸山口組幹部」だけになっていました(*1)。

 古川恵一は最近、息子の経営する飲食店(尼崎市)を手伝っていました(*1)。11月27日の射殺事件は息子の経営する飲食店前で起きました(*1)。2018年3月、2019年7月の襲撃も、この飲食店の付近で起きていました(*1)。2回襲撃されたものの、警備組員をつけずに飲食店の手伝いをしていたことから、古川恵一自身は引退した気持ちでいたと考えられます。

 実行犯の元組員は、事件の数日前から店に客として現れていました(*1)。事件当日、店に入った元組員は、古川恵一に乗用車の駐車場所を尋ねました(*1)。古川恵一は店の外に出て、元組員が運転する乗用車を誘導しました(*1)。駐車後、乗用車から出てきた元組員の手には自動小銃があり、元組員は古川恵一に向け約30発発射しました(*1)。古川恵一は十数発被弾し、即死しました(*1)。

 元組員は2018年12月まで山口組2次団体・竹中組に所属していました(*1)。しかし2018年12月、元組員は破門処分を受け、竹中組から離れました(*1)。2019年8月、元組員は覚醒剤取締法違反容疑で岐阜県警に逮捕されました(*1)。元組員の破門理由は、覚醒剤を巡ったトラブルにあったと考えられます。事件当日、元組員は「保釈中」で、2日後の11月29日に岐阜地裁で判決が下される立場でした(*1)。

 11月27日の射殺事件で用いられた自動小銃は「M16の派生型」でした(*1)。竹中組トップ安東美樹が山一抗争時(1984~1989年)、一和会トップ宅を仲間とともに襲撃した事件(1988年5月14日)(*4)において、M16は用いられました(*1)。偶然かもしれませんが、同じ武器の使用から、元組員の安東美樹に対する「忠誠心」が透けて見えます。

 「元組員」の犯行の為、警察当局は共謀共同正犯の殺人容疑で山口組上層部を逮捕しにくいです。11月27日の射殺事件は山口組にとって「出来過ぎ」ており、逆に「仕組まれた事件」という疑念が残ります。11月27日の射殺事件は、破門処分を受けた元組員により突発的に引き起こされたとは考えにくいです。射殺事件に組織的関与があったことは想像に難くありません。

<引用・参考文献>

*1 『週刊実話』2019年12月19日号, p32-36

*2 『週刊実話増刊12月20日号 週刊実話ザ・モンスターVol.3』(2019年、日本ジャーナル出版), p124-125

*3 『週刊実話増刊12月20日号 週刊実話ザ・モンスターVol.3』, p99

*4 『山口組の100年 完全データBOOK』(2014年、メディアックス), p447

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