フィリピンとヤクザ組織のパイプ役

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 2007年当時、フィリピンのマニラ周辺に「ヤクザ組織の元組員」の地位を活用しビジネスを行う者が100名前後いたとされています(*1)。日名子暁は該当者を「フリーヤクザ」と名付けました (*1)。「フリーヤクザ」は表向きクラブ経営者、各種ブローカー、貿易商、各種コンサルタントという肩書を持っていました(*1)。「フリーヤクザ」の仕事は、興行ビザによるフィリピン女性の来日業務、日本への薬物や拳銃の密輸などでした(*1)。興行ビザで日本に行くフィリピン女性の多くは、日本のパブ、スナック、クラブなどにおけるホステス業務(名目上は「エンターティナー」)で収入を得ました(*1)。フィリピンでは過去に山口組系の元組長がエルミタ区に事務所を設置したことを除けば、2007年時までヤクザ組織の事務所は置かれませんでした(*1)。ヤクザ組織本体がフィリピンに進出できなかったことが分かります。「フリーヤクザ」はフィリピンとヤクザ組織のパイプ役を果たしていたことが考えられます。

<引用・参考文献>

*1『マニラ好き』(日名子暁、2007年、太田出版), p113-114

*2『マニラ好き』, p60-65

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