手配盆

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 博徒組織により毎日開帳された賭場は「常盆」と呼ばれました(*1)。また固定数の日(「三八」の場合、3、8、13、18、23、28日の月6回)に開帳された賭場も「常盆」を意味しました(*1)。常盆(常設的な賭場)は、別名「定敷」(じょうしき)とも言われました(*2)。東興業(活動期間:1952~1964年)(*3)は毎月「四九」の日を、バッタまきの賭場の開帳日にしていました(*4)。また東興業は毎週日金曜日にポーカーの賭場を開帳していました(*5)。固定曜日に開帳された賭場も「常盆」と認識されていたと考えられます。東興業は「常盆」を開帳していたことが分かります。

 また博徒組織業界には「手配盆」という言葉がありました(*6)。手配盆とは、週2回開帳される賭場を指していました(*6)。松田組3次団体・大日本正義団(1971年結成)(*7)は大阪市西成区の民家2階で、手配盆を開帳していました(*6)。手配盆の「週2回」が、「固定曜日の開帳」(例えば火、金曜日)のことを意味するのか、「不定期曜日の開帳」のことを意味するのかは分かりません。もし固定曜日の開帳であれば、手配盆も、常盆の1つであったと考えられます。

<引用・参考文献>

*1 『ヤクザに学ぶ 伸びる男 ダメなヤツ』(山平重樹、2008年、徳間文庫), p136

*2 『親分 実録日本俠客伝①』(猪野健治、2000年、双葉文庫), p194

*3 『安藤昇 90歳の遺言』(向谷匡史、2017年、徳間文庫), p78,128

*4 『安藤昇 90歳の遺言』, p67

*5 『安藤昇 90歳の遺言』, p193-194

*6 『大阪ヤクザ戦争 ~30年目の真実~』(木村勝美、2009年、メディアックス), p74

*7 『大阪ヤクザ戦争 ~30年目の真実~』, p70

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