プロモーター

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 2005年時、フィリピン女性をホステスとするパブ、スナック、クラブなどが日本に約8,000店ありました(*1)。日本におけるフィリピン女性の就労を可能にしたのが興行ビザ(日本政府発給)でした(*1)。興行ビザは本来歌手やダンサーなどに発給されます(*1)。2005年以前までホステス予備軍のフィリピン女性も「タレント」とする拡大解釈がなされ、日本政府は興行ビザをホステス予備軍のフィリピン女性にも発給し続けてきました(*2)。

 来日したフィリピン女性はパブ、スナック、クラブなどで興行ビザにより最長6カ月働くことが可能でした(*3)。しかし2005年以降、日本政府は興行ビザを本物の歌手、ダンサーに限り発給する方針に転換しました(*2)。2004年以降、来日するフィリピン女性は減少していきました(*1)。

 ホステス予備軍のフィリピン女性の「供給役」を担ったのがフィリピンと日本のプロモーターでした(*4)。フィリピン側プロモーターの仕事の1つとして、フィリピン女性をカラオケクラブに送り込む仕事がありました(*4)。マニラのカラオケクラブオーナーの多くは日本人でした(*5)。

 フィリピンのプロモーターの中でも上級者は、日本の芸能プロ(フィリピン専門)にフィリピン女性を送り込みました(*4)。

 一方、日本側のプロモーターは、フィリピンのプロモーターから送り込まれた女性を、日本各地の店に紹介しました(*4)。  日本の店でホステスとして働くフィリピン女性は給料から「紹介の経費」を差し引かれました(*4)。フィリピン女性は給料全額をもらえなかったのです。

<引用・参考文献>

*1 『マニラ好き』(日名子暁、2007年、太田出版), p60-65

*2 『マニラ好き』, p193-194 , 235

*3 『マニラ好き』, p52

*4 『マニラ好き』, p85-87

*5 『マニラ好き』, p27

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