倒産整理屋

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 企業倒産の処理は通常、管財人によって行われます(*1)。管財人は裁判所から選任される公的な存在です (*1)。管財人は倒産企業の債権額を調べ、各債権者に債権額を分配する権利を有します(*1)。

 管財人登場の前に、各債権者を仕切り、債権額の分配を行ったのが「倒産整理屋」でした(*1)。倒産寸前の企業は、資金捻出の為、融資手形(資金融通目的の手形)を発行しました(*2)。融通手形の受取先は街金しかありませんでした(*2)。

 街金を通じ、倒産整理屋は「融資手形の発行企業(=倒産寸前企業)」の情報を得ました(*1)。倒産整理屋は融通手形を得た後、「債権者」として該当企業に乗り込み、融通手形の決済を求めました(*1)。

 倒産整理屋は威嚇的な態度を用いながら、手形決済できない企業を支配下に収めていきました(*3)。支配下に収めた後、倒産整理屋は企業から実印、銀行印、委任状、不動産権利証、手形帳を奪いました(*4)。倒産整理屋は取得した実印等を基に、架空の手形を発行、企業の「最大債権者」になりました(*4)。

 倒産発覚時、倒産整理屋は「最大債権者」の立場を活かし、債権者委員会の委員長に就き、各債権者の債権額を決定しました(*3)。管財人処理では債権額の確定まで時間が掛かりました(*3)。各債権者は、債権を早く現金化したい為、倒産整理屋に従いました。

 倒産整理屋は対象企業の物品を売却することで、収益を得ました(*5)。リースやローン扱いの物品でも、製造番号の削除で物品の所有権を曖昧にさせる、ヤクザ組織の関与する企業に売却する等で、収益を得ました(*5)。以上の倒産整理屋の行為により、当然リース会社らは損失を受けました。

 倒産寸前の企業を支配下に収める、他の債権者をまとめあげるなど、倒産整理屋の業務遂行には「強制力」が求められます。倒産整理屋はヤクザ組織を「後ろ盾」に持つことにより、「強制力」を担保としました。

 倒産整理屋は1950年代の大阪で生まれたとされています(*3)。当時の倒産整理屋はヤクザ組織を後ろ盾にしていませんでした(*3)。1970年代以降、倒産整理屋とヤクザ組織は組むようになりました(*3)。

 「大物倒産整理屋」として知られたのが八幡商事社長の大村幹雄でした(*6)。大村幹雄は山口組2次団体・(活動期間:1959~1981年)(*7)の「企業舎弟」でした(*6)。1975年時、菅谷組は構成員約1500人を抱え、山口組内の有力2次団体でした(*6)。1977年菅谷組トップ菅谷政雄が山口組から絶縁処分され、菅谷組は1981年解散しました(*7)。大村幹雄はその後、山口組2次団体・宅見組を「後ろ盾」にしました(*8)。

<引用・参考文献>

*1 『裏経済パクリの手口99』(日名子暁、1995年、かんき出版), p38-39

*2 『裏経済パクリの手口99』, p18-19

*3 『新版・現代ヤクザのウラ知識』(溝口敦、2006年、講談社+α文庫), p98-101

*4 『初等ヤクザの犯罪学教室』(浅田次郎、1998年、幻冬舎アウトロー文庫), p87-98

*5 『DATAHOUSE BOOK 011 シノギの手口』(夏原武、2003年、データハウス), p122-124

*6 『大阪ヤクザ戦争 ~30年目の真実~』(木村勝美、2009年、メディアックス) , p43-44

*7 『大阪ヤクザ戦争 ~30年目の真実~』, p36,57-58

*8 『大阪ヤクザ戦争 ~30年目の真実~』, p176-177

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