テキヤ業界の異色的存在だった関東松田組

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 太平洋戦争終了(1945年)後、東京では愚連隊を母体とするテキヤ組織が活動していました(*1)。愚連隊を母体とするテキヤ組織の名は関東松田組でした(*1)。関東松田組は戦後、新橋の闇市を支配していました(*2)。関東松田組の結成者は松田義一でした(*3)。

 松田義一は神田錦城中学時代、学生愚連隊を率いていました(*4)。神田錦城中学卒業後、松田義一は新橋のサロンで用心棒などをし、日中戦争勃発(1937年)後、満州に渡りました(*4)。帰国後、松田義一は愚連隊を組織し、戦後新橋の闇市にてテキヤ稼業をしました(*4)。

 関東松田組は新橋の闇市で露店商から場所代を徴収していました(*4)。関東松田組の構成員は毎朝露店商に鑑札を配り、夕方場所代を徴収しに行きました(*4)。当時、場所代は「日銭」「ゴミ銭」とも呼ばれました(*5)。場所代は公的なものでなく、テキヤ組織の「私的な税金」(ミカジメ料)でした。

 関東松田組は東京露店商同業組合(1945年10月設立)の愛宕支部に加わっていました(*2)。東京露店商同業組合は警察当局から認められた組織でした(*2)。当時、行政機関の代理として、東京露店商同業組合が露店商から、税金、電灯料、道路占有料などを徴収していました(*2)。新橋の場合、東京露店商同業組合愛宕支部が露店商から徴収した後、税金を芝区役所、道路占有料を芝警察署に払っていました(*2)。新橋の闇市においては、関東松田組が「東京露店商同業組合愛宕支部のメンバー」として、税金などの徴収を請け負っていたと考えられます。闇市における売買は違法でしたが、当時行政機関が闇市を「黙認」していたことが分かります。

 松田義一は1945年の末、テキヤ組織の名門・松坂屋の五代目を襲名しました(*3)。松坂屋の名前の取得により、関東松田組はテキヤ組織としての「体裁」を整えることができました。松坂屋五代目の襲名から、既存テキヤ組織が関東松田組の実力を評価していたことが窺えます。松田義一は新聞記者等と親交を結んでいました(*6)。塙長一郎(毎日新聞社会部記者)、宮崎秀雄(元報知新聞記者)、ダレル・ベリガン(ニューヨーク・ポスト東京特派員)が松田義一の相談役でした(*6)。塙長一郎と宮崎秀雄から、松田義一はGHQの占領政策の情報を入手していました(*6)。海外に詳しいダレル・ベリガンからも、松田義一にとって学ぶことは多かったと考えられます。松田義一は情報収集に長けていたことが考えられます。しかし松田義一は1946年6月、舎弟により射殺されました(*3)。

 関東松田組二代目組長には松田義一の妻・松田芳子が就任しました(*7)。テキヤ業界では、女性を構成員にしないという決まりがあります(*8)。松田芳子のテキヤ組織トップ就任に対し、テキヤ業界では反対の声が上がりました (*7)。結果、松田芳子は松坂屋六代目を襲名することはできませんでした(*7)。女性をテキヤ組織トップに据えるという組織体質から、関東松田組がテキヤ業界において異色的な存在だったことが読み取れます。

 松田芳子組長の下、関東松田組は1946年6月17~19日華僑グループと抗争をしました(*9)。抗争の背景には、新橋の闇市を巡るトラブルがありました(*9)。関東松田組は1947年7月解散しました(*9)。関東松田組は1,000~2,000人のメンバーを有していました(*9) (*10)。解散後、旧関東松田組の一部は鹿十団に入りました(*11)。鹿十団は愚連隊組織でした(*12)。行き先としてテキヤ組織ではなく、愚連隊組織を選んだメンバーが一部いたことからも、関東松田組が「愚連隊」要素の濃い組織だったことが考えられます。

<引用・参考文献>

*1 『洋泉社MOOK・「愚連隊伝説」彼らは恐竜のように消えた』「「戦後復興」と共に歩み 「高度経済成長」によって消えた愚連隊 狂気と無垢を孕む奈落の男たちが、漆黒の時代を駆ける」(猪野健治、1999年、洋泉社), p16

*2 『東京のヤミ市』(松平誠、2019年、講談社学術文庫), p154-155

*3 『洋泉社MOOK・「愚連隊伝説」彼らは恐竜のように消えた』(有限会社創雄社・実話時代編集部編、1999年、洋泉社), p73

*4 『親分 実録日本俠客伝①』(猪野健治、2000年、双葉文庫), p32-33

*5 『東京のヤミ市』, p208

*6 『山口組永続進化論』(猪野健治、2008年、だいわ文庫), p81-84

*7 『親分 実録日本俠客伝①』, p39

*8 『テキヤはどこからやってくるのか? 露店商いの近現代を辿る』(厚香苗、2014年、光文社新書), p19-20,141

*9 『戦後ヤクザ抗争史』(永田哲朗、2011年、文庫ぎんが堂), p10-13

*10 『親分 実録日本俠客伝①』, p25

*11 『親分 実録日本俠客伝①』, p27

*12 『洋泉社MOOK・「愚連隊伝説」彼らは恐竜のように消えた』, p156

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