好戦的組織の幸平一家

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  幸平一家は住吉会における「好戦的組織」として知られています。

 2001年8月18日東京都葛飾区の四ツ木斎場において、住吉会系幹部の通夜が行われていました(*1)。通夜の最中、潜り込んでいた稲川会系組員2人が発砲、住吉会2次団体トップ2人(向後睦会、滝野川一家)を殺害、2次団体幹部に重傷を負わせました(*1)。事件後、住吉会と稲川会の間で、和解が成立しました(*1)。しかし住吉会の中では、報復の気運が残りました (*1)。2003年1月25日群馬県前橋市内のスナックに、幸平一家組員2人が押し入り、元稲川会組員(四ツ木斎場射殺犯の属していた組織幹部)を狙い、拳銃を乱射しました(*1)。巻き添えにより、市民4人が死亡、2人が重傷になりました(*1)。狙われた元稲川会組員は左手の指を撃たれる軽傷を負いました(*1)。四ツ木斎場事件を巡る稲川会との抗争で、幸平一家が「実行部隊」として活動していたことが考えられます。

 幸平一家は海外マフィアとの抗争経験も持っています。2002年9月新宿区歌舞伎町の飲食店にて、幸平一家幹部2人が中国マフィアにより拳銃で殺傷されました (*2)。新宿は幸平一家の縄張りの1つでした(*3)。翌月10月、報復として、幸平一家は中国マフィアのメンバー1人を殺害しました(*2)。

 幸平一家は山口組に対しても武力行使をしています。2004年4月新宿区歌舞伎町で、山口組2次団体・山健組傘下組員が幸平一家組員2人により射殺されました(*4)。すぐに両団体の間で和解が成立、大きな抗争には至りませんでした(*4)。山口組が報復しなかった要因の1つとして、幸平一家との抗争回避があったと考えられます。好戦的組織の幸平一家との抗争は長引くことを山口組は懸念したと、推測されます。

 3事例の共通点として、「殺害目的の武力行使」が挙げられます。他組織にとって、幸平一家は抗争回避すべき組織となっています。

<引用・参考文献>

*1 『戦後ヤクザ抗争史』(永田哲朗、2011年、文庫ぎんが堂), p289-294

*2 『歌舞伎町・ヤバさの真相』(溝口敦、2012年、文春新書), p235-237

*3 『別冊 実話時代 龍虎搏つ!広域組織限界解析Special Edition』(2017年6月号増刊), p91

*4 『洋泉社MOOK・山口組・東京戦争』(有限会社創雄社編、2005年、洋泉社), p19

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