不流一家

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 かつて東北地方において「不流一家」というテキヤ組織のグループが活動していました(*1)。1984年頃、宮城県内におけるヤクザ組織の親睦団体「宮城七日会」に不流興業は加盟していました(*2)。不流興業は「不流一家」グループの組織だったと考えらえます。不流興業は宮城県石巻市に拠点を置いていました(*2)。

 「不流一家の始祖」に位置づけられる人物は昔、膏薬(こうやく)を販売していました(*3)。膏薬とは、外用薬の一種で、患部に貼って用いられました。不流一家の始祖は「貼っても流れぬ不流膏」という膏薬を販売していました(*3)。始祖の系譜は続きました(*3)。明治時代に入り、「不流一家の初代」に位置づけられる人物が、姓を「不流」としました(*3)。姓の由来は、始祖が販売した膏薬名から来ていると考えられます。不流一家二代目の名前は「不流平太郎」でした(*3)。

 1986年東北地方で活動するテキヤ組織の親睦団体「東北神農同志会」が設立されました(*1)。東北神農同志会には、不流一家を含む17団体が参加しました(*1)。東北神農同志会の参加から、不流一家が東北地方で一定の活動をしていたことが分かります。

<引用・参考文献>

*1 『SANWA MOOK ウラ社会読本シリーズ⑤ 極東会大解剖 「強さ」を支えるのは流した血と汗の結晶だ!』(実話時代編集部編、2003年、三和出版), p84

*2 『ヤクザ伝 裏社会の男たち』(山平重樹、2000年、幻冬舎アウトロー文庫), p223-224

*3 『洋泉社MOOK・義理回状とヤクザの世界』(有限会社創雄社実話時代編集部編、2001年、洋泉社), p53

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