江戸時代において博徒組織は、拠点を主に天領(幕府直轄領)もしくは寺社(じしゃ)領に置いていました(*1)。天領の治安機関は役人不足により、領内を充分に取り締ることができませんでした(*2)。治安機関の弱さは、アウトロー組織を育む「土壌」となります。関東地方の日光街道、東海道、甲州街道、中山道、奥州街道筋には、天領が多かったです(*2)。街道筋に多くの博徒組織が誕生した一因として、天領(治安機関の弱いエリア)が多くあったことが考えられます。
寺社領とは「寺社の支配地」でした(*1)。寺社とは、寺院と神社のことです。他の領地の治安機関は、寺社領において「取締りの権限」を持ちませんでした(*1)。賭場は主に寺社領で開かれていました(*1)。また「領地の境界線付近」においても賭場はよく開かれていました(*2)。治安機関は賭場に踏み込んでも、博徒組織が境界線を越え「別の領地」に逃げ込めば、取締りを断念するしかなかったからです(*2)。
裏を返せば、治安機関の強い領地においては、博徒組織は育ちにくかったと考えられます。
<引用・参考文献>
*1 『やくざと日本人』(猪野健治、1999年、ちくま文庫), p110
*2 『やくざと日本人』, p102-103
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