検問所における「通行料」徴収

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 アフガニスタンでは1989年ソ連(現在のロシア)軍撤退後、ソ連軍に対し戦ってきた「ムジャヘディン」という武装組織の間で、争いが起きました(*1)。7つのムジャヘディン間での角逐により(*2)、アフガニスタンは1996年まで内戦状態に陥りました(*3)。

 ソ連軍は1979年、アフガニスタンに侵攻しました(*4)。ソ連軍との戦争において、アフガニスタンでは当初、多くのムジャヘディンが活動していました(*2)。アメリカ等の欧米諸国はパキスタンを介在させる形で、ムジャヘディンに対し軍事支援を行いました(*5)。

 パキスタンの情報機関ISIがアメリカからの武器を受け取り、ペシャワールやクエッタの街でムジャヘディンに武器を供給していました(*5)。武器の取り扱い方などの訓練においても、アメリカ軍から教わったパキスタン軍人がムジャヘディンに教えました(*5)。ムジャヘディンにとって「アメリカの窓口」はパキスタンであり、アメリカにとって「ムジャヘディンの窓口」はパキスタンであったことが分かります。1979~1989年のアフガニスタンとソ連の戦争において、地政学上パキスタンの重要性は増したと考えらます。

 パキスタンはアメリカからの武器をムジャヘディンに対し、公平に分配しませんでした(*5)。ムジャヘディンのパキスタンに対する従順具合によって、パキスタンは恣意的に武器を「傾斜配分」していました(*5)。パキスタンは「武器供給」という権限を用い、ムジャヘディンをコントロールしていたことが考えられます。後に、パキスタンはムジャヘディンを7つにまとめました(*1)。背景には、ムジャヘディンを1本化した場合、ムジャヘディンの力が強くなり過ぎて指示に従わなくなるという、パキスタン側の懸念がありました(*1)。

 1989~1996年の内戦中、ムジャヘディンは道路に検問所を設置し、トラック運転手などから「通行料」の名目で金を徴収していました(*1) (*3)。運転手は金を支払わないと、道路を使用できず、目的の場所に着けません。運転手は金を出さざるをえません。一方、徴収側は道路に検問所を設置、武装したメンバーを常時配置するだけのコストで済みます。一般人から金を徴収する方法として、検問所における「通行料」徴収は簡単であると考えられます。

<引用・参考文献>

*1 『タリバン』(田中宇、2001年、光文社新書), p14-15

*2 『タリバン』, p81-82

*3 『タリバン』, p18,99-100

*4 『タリバン』, p68

*5 『タリバン』, p143-144

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