日本軍占領下の広東市におけるアヘン販売

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 1937年日中戦争勃発後(*1)、日本軍は中国の都市を支配下に収めていきました。日本軍は占領都市で、アヘンを販売しました。中国では中華民国時代の1913年、アヘン貿易が禁止されました(*2)。1929年にはアヘン禁煙法が公布・施行されました(*3)。当時の日本軍は中国において「違法行為であるアヘン販売」を占領都市で行っていたのです。

 日本軍に占領された都市の1つである広東市でも、日本軍の主導により、アヘンが販売されました(*4)。1939年5月「福民堂」というアヘン専売商社が広東市で立ち上げられました(*4)。福民堂は「アヘン専売」の対価として、日本軍に「報奨金20万円」(2年間の専売権を得る為の費用)と「毎月1,000円」を払いました(*4)。日本軍は「アヘン販売ビジネス」を福民堂に委託していたことが分かります。

 日本軍はイラン産アヘン1箱(160ポンド=約72kg)を1万8,000円で福民堂(専売商社)に販売しました(*4)。日本軍から購入したアヘン1箱を、福民堂は2万3,000円でアヘン商人に販売しました(*4)。福民堂の利益は1箱5,000円、利益率は約22%でした。最終消費地のアヘン吸飲場には、1箱3万1,680円で販売されました(*4)。

 しかし後に密輸の拡大等により、福民堂のアヘン販売は低落していきました(*5)。1942年6月「アヘン専売の契約終了」に伴い、福民堂は解散しました(*5)。

<引用・参考文献>

*1 『日中アヘン戦争』(江口圭一、2018年、岩波新書), p60

*2 『アヘンと香港 1845-1943』(古泉達矢、2016年、東京大学出版会), p132

*3 『日中アヘン戦争』, p25

*4 『日中アヘン戦争』, p113

*5 『日中アヘン戦争』, p157

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