「一家名乗り」と「分家」

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 テキヤ組織において、経歴を着実に積んだ構成員は「実子分」(親分候補)に昇進しました(*1)。組織規模の大きいテキヤ組織では、実子分は複数人いました(*2)。実子分は後に、「一家名乗り」「分家」という形で組織から独立し、自身の組織を立ち上げることができました(*1)。

 テキヤ業界では、「一家名乗り」に比し、「分家」の方が「上位」であると見なされていました(*1)。「分家」として独立する組織は、出身母体の組織から庭場(縄張り)の一部を譲渡されました(*3)。一方、「一家名乗り」の組織は出身母体の組織から庭場をもらえませんでした(*3)。「一家名乗り」したばかりの組織は、他のテキヤ組織の庭場でショバ代(露店出店料)を払い露店商売をしていったと考えられます。また「一家名乗り」した組織の中には、「露店商品(ネタ)の問屋(卸)」になった組織もありました(*3)。

 次期親分の地位を他の実子分にとられ、「一家名乗り」「分家」による独立もしなかった実子分は組織内で「顧問」「相談役」という職に就きました(*4)。

 1986年関口グループ(現在の極東会)の2次団体・真誠会では、35人が「一家名乗り」「分家」により独立しました(*5)。真誠会は、現在の松山連合会(2002年に改称)の前身です(*6)。

<引用・参考文献>

*1 『ヤクザ大全 その知られざる実態』(山平重樹、1999年、幻冬舎アウトロー文庫), p49-50

*2 『テキヤと社会主義 1920年代の寅さんたち』(猪野健治、2015年、筑摩書房), p178-179

*3 『テキヤと社会主義 1920年代の寅さんたち』, p72-73

*4 『テキヤと社会主義 1920年代の寅さんたち』, p100

*5 『ヤクザ大全 その知られざる実態』, p107

*6 『洋泉社MOOK・勃発!関東ヤクザ戦争』(有限会社創雄社『実話時代』田中博昭編、2002年、洋泉社), p81

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