アヘンの「販売」、ヘロインの「密売」

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 日清戦争(1894~1895年)後、日本は台湾を領有、1897年台湾アヘン令を公布し、台湾でアヘンを販売していきました(*1)。1931年の満洲事変後では満州国(1933年アヘン法施行)(*2)、1937年日中戦争勃発後では蒙疆三政権 (*3)等で日本の主導の下、アヘンが販売されました。

 中国では1929年アヘン禁煙法が公布・施行され、アヘンに関する事は「違法」になりました(*4)。しかし1936年チャハル省はアヘンに対し課税をしていました(*5)。同省ではアヘン禁煙法が形骸化していたことが分かります。また当時マカオ(ポルトガル植民地)から中国本土に向けてアヘンが大量に密輸されていました(*6)。1929年以降の中国では、名目「アヘン禁止」も、実質「アヘン黙認」が行政機関レベルでも行われていたと考えられます。

 1931年以降、中国大陸に本格進出した日本も、実質「アヘン黙認」の流れにのり、アヘンを販売していったと考えられます。台湾、満州国、蒙疆、広東市のアヘン販売において、日本は公的な専売制を敷きました(*1) (*2) (*3) (*7)。1941 年10月以降、日本の専売制アヘンの価格が高くなりました(*8)。同時期に「密売アヘン」が流通しました(*8)。密売アヘンはおそらく、日本の専売制アヘンの価格よりも安かったと考えられます。日本側にとって、密売アヘン組織は専売制アヘンの売上を減らす、敵視すべき存在であったと考えられます。

 また日本はアヘンに加えて、ヘロインの「密造」「密売」にも関与していました(*9)。ヘロインは、生アヘンから精製されたモルヒネの一種です(*10)。ヘロインは元々「鎮咳剤」として用いられていましたが、多幸感・依存性を強く与える為、快楽目的で消費されていきました(*10)。ヘロインに関しては、日本は公的な専売制を敷きませんでした。故に、ヘロインの製造は「密造」、ヘロインの販売は「密売」になりました。つまり当時の日本は中国でアヘンを「販売」、ヘロインを「密売」していました。

<引用・参考文献>

*1 『日中アヘン戦争』(江口圭一、2018年、岩波新書), p29-30

*2 『日中アヘン戦争』, p44

*3 『日中アヘン戦争』, p60,67

*4 『日中アヘン戦争』, p25

*5 『日中アヘン戦争』, p65

*6 『アヘンと香港 1845-1943』(古泉達矢、2016年、東京大学出版会),p132

*7 『日中アヘン戦争』, p113

*8 『日中アヘン戦争』, p156-157

*9 『日中アヘン戦争』, p41-43

*10 『日中アヘン戦争』, p20-21

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