シナロア州で生まれたメキシコ麻薬カルテル

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 メキシコ麻薬カルテルにとって「誕生の地」とされるのがシナロア州です(*1)。シナロア州は太平洋沿岸にあり、国土の北西に位置しています。

 1860年代のシナロアには中国人移民が鉄道建設や鉱山労働に従事していました(*2)。中国から移住してきた人の中には、シナロアに植物ケシを持ち込んだ人がいました (*2)。1840~1842年アヘンを巡り中国はイギリスと戦争したように、中国国内におけるアヘン吸飲が社会問題化していました(*3)。アヘンの原料はケシです(*4)。1860年代以降のシナロアでは、ケシの栽培が始まり、アヘン窟がつくられていきました(*2)。アヘン業者はシナロア産アヘンを北の隣国アメリカ合衆国に輸出しました(*5)。

 1914年アメリカ合衆国で「ハリソン麻薬取締法」が成立しました(*5)。ハリソン麻薬取締法はアヘンを完全に禁止するものではなく、管理していく内容でした(*5)。しかしハリソン麻薬取締法成立以降、シナロア産アヘンをアメリカ合衆国に自由に持ち込むことは、以前より難しくなったようで、アメリカ合衆国向けアヘン販売は「密輸ビジネス」の色合いを濃くしていきました(*5)。

 当時中国人グループが「シナロア産アヘン密輸ビジネス」を仕切っていました(*5)。中国人グループは、ケシの収穫など生産過程から、アメリカへの移送までの輸送過程までを支配しました(*5)。中国人グループの主な密売先は、アメリカ合衆国内の中国人取引業者でした(*5)。

 アメリカ合衆国の禁酒法時代(1920~1933年)(*5)が終わると、シナロアではメキシコ人グループが暴力的手段を用い、中国人グループから「アヘン密輸ビジネス」を奪取しました(*7)。

 ケシはヘロインの原料にもなります。当時メキシコ人グループはヘロイン密輸ビジネスもしていました(*7)。しかし当時シナロア産ヘロインの質は、主流のトルコ産ヘロインに比し、低いとされていました(*7)。

 1940年代シナロア産アヘンは増産されました(*8)。1940年代シナロアに拠点を置いたアヘン密輸グループは勢力を拡大していったと考えられます。

<引用・参考文献>

*1 『メキシコ麻薬戦争 アメリカ大陸を引き裂く「犯罪者」たちの叛乱』(ヨアン・グリロ著、山本昭代訳、2014年、現代企画室), p36-37

*2 『メキシコ麻薬戦争 アメリカ大陸を引き裂く「犯罪者」たちの叛乱』, p44

*3 『銀の流通と中国・東南アジア』「序論 アヘン戦争前夜の「不況」-「道光不況」論争の背景」(豊岡康史、2019年、山川出版社), p7-8

*4 『メキシコ麻薬戦争 アメリカ大陸を引き裂く「犯罪者」たちの叛乱』, p41

*5 『メキシコ麻薬戦争 アメリカ大陸を引き裂く「犯罪者」たちの叛乱』, p48

*6 『はじめてのアメリカ音楽史』(ジェームス・M・バーダマン・里中哲彦、2018年、ちくま新書),p154

*7 『メキシコ麻薬戦争 アメリカ大陸を引き裂く「犯罪者」たちの叛乱』, p52-55

*8 『メキシコ麻薬戦争 アメリカ大陸を引き裂く「犯罪者」たちの叛乱』, p58-59

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