マフィアによる穀物の高値販売

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 第二次世界大戦間の1943年7月、連合軍はシチリア島に上陸、同年内にシチリア島を占領しました(*1)。連合軍占領以前のシチリアはイタリア半島同様、ムッソリーニのファシスト党政権下にありました(*2)。ファシスト党は1922年政権をとりました(*2)。

 シチリアのアウトロー組織・マフィアは、1925~1931年当時のパレルモ知事だったチェーザレ・モーリから厳しい取締りを受けました(*3)。しかし連合軍占領以後、マフィアが再び活動を活性化させました(*4)。

 当時のマフィアの資金獲得源の1つとして、「穀物の高値販売」がありました(*4)。マフィアは農村で収穫された穀物を、公設倉庫に貯蔵せず、隠し持っていました(*4)。マフィアは「穀物の流通量」を意図的に減らすことで、穀物価格の高騰を演出したのです(*4)。価格が高騰した時に、マフィアは隠し持っていた穀物を販売したと考えられます。

 元々マフィアは、シチリアの大土地所有者に雇われた「農地管理人」でした(*5)。暴力を迷わずに行使できる特性によって、マフィアは農民を管理できていたと考えられます。連合軍占領以後もマフィアにとって、農民を意のままに動かすことは容易だったと考えられます。

<引用・参考文献>

*1 『地中海の十字路=シチリアの歴史』(藤澤房俊、2020年、講談社選書メチエ), p208-210

*2 『地中海の十字路=シチリアの歴史』, p196

*3 『地中海の十字路=シチリアの歴史』, p202-204

*4 『地中海の十字路=シチリアの歴史』, p220

*5 『地中海の十字路=シチリアの歴史』, p184-185

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