クリップスとブラッズ

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 1980年代後半、ロサンゼルス市(カリフォルニア州)のサウスセントラル地区の裏社会では、「クリップス」と「ブラッズ」の2団体が際立った活動をしていました(*1)。両団体ともアフリカ系アメリカ人を主な構成員とするストリートギャングでした(*2) (*3)。

 1968年当時10代だったレイモンド・ワシントンらがサウスセントラル地区において「地域社会革命集団内奉仕」という活動を始めました(*4) (*3)。「地域社会革命集団内奉仕」は英語で「Community Revolutionary Inter-Party Service」と記されました(*4)。頭文字を並べると「CRIPS」(クリップス)となります(*4)。クリップスは地域社会革命集団内奉仕の活動から生まれました(*4)。

 クリップスは各地に支部を作っていきました(*2)。結成初期のクリップスは3つの支部(「イーストサイド・クリップス」「ウエストサイド・クリップス」「コンプトン・クリップス」)しか持ちませんでしたが、次第に支部の数を増やしていきました(*2)。

 クリップスの抗争相手のストリートギャングらが集う形で、「ブラッズ」という組織が1972年結成されました(*5)。ブラッズは連合型組織で、「ピルーズ」「ブリムス」「アテンズ・パーク・ボーイズ」「プエブロス」等のストリートギャングにより構成されました(*5)。

 クリップスの構成員は「青色のバンダナ」、一方ブラッズの構成員は「赤色のバンダナ」を身に付けていました(*5)。

<引用・参考文献>

*1 『アメリカ音楽史 ミンストレル・ショウ、ブルースからヒップホップまで』(大和田俊之、2011年、講談社選書メチエ), p235-236

*2 『誰がラッパーを殺したのか?』(小林雅明、1999年、扶桑社), p116-117

*3 『いりぐちアルテス002 文化系のためのヒップホップ入門』(長谷川町蔵・大和田俊之、2016年、アルテスパブリッシング), p114-115

*4 『誰がラッパーを殺したのか?』, p99-100

*5 『誰がラッパーを殺したのか?』, p122-124

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