北道会

  • URLをコピーしました!

 2003年末時点の北海道では、松葉会(1次団体)の下部団体・北道会が活動していました (*1)。松葉会は、旧関根組を前身とする組織で、1953年結成されました(*2)。

 関根組(1936年頃結成)は、東京の墨田区向島を拠点にした土建業の組織でした(*2) (*3)。関根組の創設者は、関根賢でした(*3)。関根賢は、江東区や墨田区の博徒や愚連隊の構成員を吸収する形で、関根組を発足させました(*3)。発足時の構成員の内容から、関根組は土建業を営みつつも、違法領域でも活動組織であったことが推測されます。また関根組の構成員は約1万人いたとされており(*3)、関根組が大規模な組織であったことが考えられます。

 戦後の1949年、GHQ(連合国軍総司令部)により公布された団体等規正令により、日本各地のヤクザ組織が解散に追い込まれました(*4) (*5) (*6)。関根組も1949年6月解散しました(*2)。1952年のサンフランシスコ平和条約の発効により、団体等規正令が廃止され、ヤクザ組織の活動が再び活性化していきました(*5)。

 サンフランシスコ平和条約の発効の翌年に松葉会は結成されており、当時の法環境が「旧関根組の復活」を許した側面もあったと考えられます。1953年から1965年まで松葉会のトップだったのが、旧関根組最高幹部の藤田卯一郎でした(*2)。藤田卯一郎がトップをつとめた時代(1953~1965年)、松葉会は関東及び北陸地方、北海道に進出、勢力を拡張させました(*2)。1960年代までには、松葉会が北海道で活動し始めていたことが分かります。

 1964年2月警察庁が「組織暴力犯罪取締本部」を設け、ヤクザ組織に対し取締り強化を実施(通称:「頂上作戦」)しました(*7)。「頂上作戦」を受け、主要ヤクザ組織は解散を余儀なくされ、松葉会も1965年解散しました(*7)。しかし1968年旧松葉会の勢力が「松友会」という組織を発足させました(*2)。1971年松友会は「松友睦」に改称しました(*2)。1973年には松友睦は「松葉会」に改称し(*2)、松葉会が名目上も復活しました。

 北海道の松葉会勢力は1960年代以降も活動し続けていったと考えられます。2016年時点、北海道では松葉会の活動が確認されました (*8)。しかし2017年以降の北海道において、松葉会の活動が確認されなくなりました(*9) (*10) (*11)。一方、松葉会の脱退グループである関東関根組の活動が、2018年以降の北海道で確認されました(*10) (*11)。

  2014年松葉会から一部の勢力が脱退し、2014年4月「松葉会関根組」を結成しました(*12)。2017年松葉会関根組は松葉会と和解すると同時に、「関東関根組」に改称しました(*12)。おそらく北海道で活動していた松葉会の下部団体は、2014年時松葉会を脱退し、松葉会関根組に参加したのだと推察されます。2014年から2016年までは、警察当局は北海道を拠点に活動する「松葉会関根組の下部団体」を「松葉会の下部団体」として書類上分類していたと考えられます。

 北道会等の後継組織は現在、関東関根組の下部団体として活動していることが考えられます。

<引用・参考文献>

*1 『洋泉社MOOK・山口組・史上空前の四万人軍団動く!』(有限会社創雄社『実話時代』落合章子・木下明美編、2005年、洋泉社), p65

*2 『洋泉社MOOK・ヤクザ・指定24組織の全貌』(有限会社創雄社・実話時代編集部編、2002年、洋泉社), p155-159

*3 『ヤクザ伝 裏社会の男たち』(山平重樹、2000年、幻冬舎アウトロー文庫), p90-91

*4 『戦後ヤクザ抗争史』(永田哲朗、2011年、文庫ぎんが堂), p30

*5 『昭和のヤバいヤクザ』(鈴木智彦、2019年、講談社+α文庫), p177,190

*6 『実話時代』2018年9月号, p42-43

*7 『現代ヤクザ大事典』(実話時代編集部編、2007年、洋泉社), p168-170

*8 警察庁「平成28年における 組織犯罪の情勢」, p34

*9 警察庁「平成29年における 組織犯罪の情勢」, p34,

*10 警察庁「平成30年における 組織犯罪の情勢」, p34

*11 警察庁「令和元年における 組織犯罪の情勢」, p33

*12 『実話時代』2019年3月号, p39

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!

コメント

コメントする

CAPTCHA


目次