顧問職と盃

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  山口組の五代目渡辺芳則組長(在任期間:1989~2005年)(*1)体制の発足時(1989年)、トップ渡辺芳則は、最高顧問(中西一男)と顧問(益田佳於、小西音松、伊豆健児)に就く4人とは盃を交わしませんでした(*2)。

 三代目田岡一雄組長(在任期間:1946~1981年)(*3)体制時において、先述の4人は「山口組2次団体のトップ」でした(*4)。4人とも「田岡一雄の子分」という立場でした(*4)。一方、渡辺芳則は1982年に「山口組2次団体のトップ」(山健組組長)に就任しました(*5)。「2次団体トップのキャリア」では、4人の方が渡辺芳則より長いです。

 生年では、中西一男が1922年、益田佳於が1930年、小西音松が1915年、伊豆健児が1927年でした(*4)。対し渡辺芳則の生年は1941年でした(*6)。4人とも渡辺芳則より年上でした。渡辺芳則にとって4人は「山口組内の先輩」という立場であったことが窺えます。

 一方、三代目田岡一雄組長体制時に「山口組2次団体のトップ」であり、渡辺芳則より年上だった者の中でも、1989年時渡辺芳則と盃を交わした者がいました。五代目発足時(1989年)において舎弟頭の益田啓助(1927年生まれ)(*2) (*4)、舎弟頭補佐の石田章六(1932年生まれ)(*2) (*7)は、三代目時代から「2次団体トップ」でした(*4) (*7)。2人は五代目発足時、渡辺芳則と「舎弟」の盃を交わしました。

 五代目発足時(1989年)、山口組の中に「三代目時代に2次団体トップ」であり「渡辺芳則より年上」に該当する者は複数いました。しかし「盃を交わした派」(益田啓助ら)と「盃を交わさなかった派」(中西一男ら4人)に分かれました。盃事は、組織内の「上下関係」を可視化させます。渡辺芳則は名誉職である「特別顧問」「顧問」に就いた者に配慮し、顧問職の4人とは盃を交わさなかったと考えられます。

<引用・参考文献>

*1 『山口組の100年 完全データBOOK』(2014年、メディアックス), p447-454

*2 『ドキュメント 五代目山口組』(溝口敦、2002年、講談社+α文庫), p291

*3 『山口組の100年 完全データBOOK』, p444-445

*4 『血と抗争 山口組三代目』(溝口敦、2015年、講談社+α文庫), p363-366

*5 『ドキュメント 五代目山口組』, p63

*6 『山口組の100年 完全データBOOK』, p26

*7 『六代目山口組10年史』(2015年、メディアックス), p19 

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